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旧赤松家住宅

旧赤松家住宅は、近代日本の造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した海軍中将男爵赤松則良の邸宅跡です。明治20年代に建てられた門・塀・土蔵は県・市の指定文化財となっています。敷地内には庭園と旧赤松家記念館があり、記念館では旧赤松家ゆかりの文化財や寄贈資料等を展示するほか、有料で磐田茶の一服も楽しめます。


旧赤松家住宅の表門は県指定の文化財になっています。
01_旧赤松家記念館


表門前には大クスの木が赤松家を見守っています。
02_旧赤松家記念館


開館時間は、火曜から日曜(午前9時から午後4時30分)入場料が無料なのは嬉しいですね。
03_旧赤松家記念館


正面玄関。
04_旧赤松家記念館


木製の重厚な門扉。
05_旧赤松家記念館


アーチ型の洒落た窓。
06_旧赤松家記念館


正門両側には門番所が設置されています。
07_旧赤松家記念館


水屋と呼ばれる食器類の洗い場。
08_旧赤松家記念館


赤松則良の胸像。
09_旧赤松家記念館


敷地内に残されていた内蔵。
10_旧赤松家記念館


内蔵内部も資料館として公開されていました。
11_旧赤松家記念館


ガラス乾板写真に写った赤松則良。
12_旧赤松家記念館


明治期には旧赤松家屋敷東端に、屋敷続きで四間・二間半の内蔵があったそうです。
13_旧赤松家記念館


貯蔵庫には漬物などが保管されていたそうです。
14_旧赤松家記念館


敷地内に残されていた井戸。
15_旧赤松家記念館


庭園。
16_旧赤松家記念館


表門側から見た敷地内の風景。
17_旧赤松家記念館


敷地内に建てられた記念館では、旧赤松家ゆかりの文化財を展示・紹介しています。
18_旧赤松家記念館


市指定文化財の紙本金地著色・源氏物語図屏風(江戸時代後期)。
19_旧赤松家記念館


海軍中将男爵だった赤松則良の衣服。
20_旧赤松家記念館


市指定文化財になっている金高蒔絵。吉野山の桜山水が描かれています。
21_旧赤松家記念館


西周から贈られた硯箱。
22_旧赤松家記念館


万延元年(1860年)日米修好通商条約批准書交換の使節団に随行時に乗船した咸臨丸の模型。
23_旧赤松家記念館
咸臨丸にて渡米した際、艦長勝海舟より、航海中の功績あり、として、礼砲発射の号令を発する名誉を授かっているそうです。



【 赤松則良 】
幕府十五番組御徒士(御家人)・吉沢雄之進の次男として江戸深川に生まれる。1847年祖父赤松良則の後を継ぎ赤松姓となる。オランダ語を学び、蕃書調所に勤める。
安政4年(1857年)に長崎海軍伝習所に入所して航海術などを学ぶ。万延元年(1860年)日米修好通商条約批准書交換の使節団に随行し、咸臨丸で渡米する。(艦長勝海舟)文久元年(1861年)に幕府よりアメリカ留学生として選任される。しかし南北戦争勃発のためオランダ留学生に変更となり、内田恒次郎・榎本釜次郎・沢太郎左衛門らと共に文久2年(1862年)、長崎を出航してオランダへ向かう。
文久3年(1863年)4月にオランダ・ロッテルダムに到着。開陽丸建造と同時進行で、運用術、砲術、造船学などを学ぶ。慶応2年(1866年)に完成した開陽丸に乗船して帰国する榎本釜次郎ら、同行のオランダ留学生達と別れてオランダへ残留、留学を継続する。慶応4年(1868年)大政奉還を知り、留学を中止し帰国の途に着く。同年5月17日、横浜港へ帰着した。
戊辰戦争が勃発すると、海軍副総裁となった榎本釜次郎と合流して江戸脱走を試みるが果たせず、徳川家臣らと共に静岡藩へ移る。静岡藩沼津兵学校陸軍一等教授方として徳川家のために尽くし、その後は明治政府に出仕して海軍中将にまで累進。主船寮長官、横須賀造船所長、海軍造船会議議長などの要職を歴任した。1887年に男爵を叙爵。貴族院議員もつとめた。明治26年に予備役となったのち、見付(現静岡県磐田市)へ本籍を移し、終の住家として旧赤松家(静岡県・磐田市指定文化財)を建造する。また、1889年に開庁した佐世保鎮守府の初代長官でもある。(Wikipediaより)


ご覧いただき、ありがとうございました。


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