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日本橋界隈 (20200205)

江戸時代の中心地となり商業・文化などで栄えた日本橋には国の重要文化財や建築遺産などの貴重な建物が数多く存在します。今回は、そんな日本橋の歴史的建造物を見て回りました。



日本橋三越本店(国重要文化財)
日本橋三越新館は、三越が株式会社設立100周年事業の一環として建設し、2004年に新装オープンしました。商号の「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものです。
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1935年に竣工した日本橋三越本店旧館は、「我が国における百貨店建築の発展を象徴するものとして価値が高い」として、国の重要文化財に指定されています。
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三越本店は大正3年(1914)、三越呉服店時代に鉄筋コンクリート造りのルネッサンス様式建築として竣工し、「スエズ運河以東最大の建築」と称賛されました。その後、関東大震災で一部焼失しましたが改修増築が行われ、昭和10 年(1935)には現在の姿になりました。
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正面玄関に一対の青銅製のライオン像が鎮座しています。これはロンドンのトラファルガー広場にあるライオン像をモデルにイギリスで3年の歳月をかけて鋳造されたものです。このライオン像には「必勝祈願の像」として、誰にも見られずに背にまたがると願いがかなうという言い伝えがあり、特に受験生に人気があります。
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日本銀行本店本館(国重要文化財)
日本銀行は明治15年(1882)に永代橋の袂で開業しましたが、手狭であったことや都心部から離れていたことなどから、翌年には店舗の移転が決定し、明治29 年(1896)に江戸時代の金座があった現在の場所に日本銀行本店本館が竣工しました。
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設計者は近代建築の巨匠であり、東京駅赤煉瓦駅舎の設計も手がけた辰野金吾で、設計に当たり彼は欧米諸国の銀行を14 か月かけて視察し、当時最新であったベルギーの中央銀行を模範にしたといわれています。
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本館は地上3階、地下1階。中央のドーム、付け柱などネオバロック様式の特徴が随所に見られますが、加えて厳格な左右対称、壁面などの意匠にルネッサンス様式が採り入れられています。更に水洗便所やエレベーター、防火シャッターなど当時の日本では珍しかった最先端の設備も備えていました。
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当初は総石造りの計画でしたが、着工翌年に岐阜県南部を中心に発生した濃尾大地震を教訓に、外壁の内側に煉瓦を積み上げ、外側に石を積み上げた石積み煉瓦造りにすることで耐震性を向上させました。結果として大正12 年(1923)に起きた関東大震災では、建物自体はびくともしませんでした。関東大震災時に発生した火災では中央のドーム及び内装の過半が焼失してしまいましたが、昭和7年(1932)に手榴弾が投げ込まれた五・一五事件、昭和20 年の東京大空襲などでも大きな被害はなく、ほぼオリジナルに近い姿を現在に残しています。
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日本銀行東門
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日本銀行東門前から見た日本橋三越本店方面の風景。
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三井本館(国重要文化財)
三井本館は江戸時代に三井財閥の基礎を築いた三井高利が呉服屋「越後屋」を構えた跡地に立地しています。現在の三井本館は関東大震災で被災した旧本館を建て替える形で、昭和4年(1929)に竣工しました。
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設計はトローブリッジ&リヴィングストン事務所、施行はジェームズ・スチュアート社が担当。当時のアメリカの最先端の設計と技術を用いて建てられました。建築様式は19 世紀アメリカの公共建築でも数多く見られるギリシア復古調の新古典主義が採用され、建物の3面にわたり壮麗なコリント式の列柱に囲まれています。
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関東大震災の教訓からその2倍の地震にも耐えられる造りになっています。地下の大金庫の扉は直径2.5m、厚さ最大0.55m、重量50t もあり、運搬時はその重量から日本橋上の通行が許されず、船で新常盤橋の袂まで運び、陸揚げされたという逸話が残されています。
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かつて本館には三井合名会社、三井銀行(現三井住友銀行)、三井信託銀行(現中央三井信託銀行)、三井物産、三井鉱山(現日本コークス工業)等、の各本社が入居しており、まさしく三井財閥の本拠地としての役割を果たしていました。戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に建物の一部を接収されたことがあります。 現在、本館内には三井記念美術館があり、江戸時代以来、三井家が収集してきた貴重な美術品、約4000点が収蔵されています。
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COREDO室町
「COREDO室町」は江戸時代、世界有数のにぎわいを見せていた日本橋の街を再現するために推進中の「日本橋再生計画」の一環で完成しました。3棟からなる高層ビルとショッピングゾーン(室町1、2、3)で構成される「COREDO室町」は、長い歴史を刻む老舗が全国から集結しているほか、レストランやショップ、映画館や多目的ホールなど、さまざまな店と施設が入る複合商業施設です。
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「COREDO室町1」(左)と「COREDO室町3」(右)
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COREDO日本橋
1999年に閉店した東急百貨店のルーツである日本橋店(旧白木屋本店)跡地の再開発事業として三井不動産と東急不動産により2004年に竣工、同年3月30日にオープンしました。
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永代通りと中央通りが交わる日本橋交差点に位置し、日本橋駅とも地下で直結しています。日本橋エリアでは2000年代に入ってから初めての大規模な再開発により竣工した物件であり、当地の新しいランドマーク的な存在となっています。
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東京日本橋タワー
COREDO日本橋から永代通りを挟んだ南側に立つ超高層ビルが東京日本橋タワーで、地下4階、地上35階建で、地上高180m、オフィスは8階より上のフロア、地下1階から地上3階にかけては店舗が入居します。
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東京日本橋タワー横の広場にはイルミネーションが残っていました。前回訪問時はクリスマスまでかと思ってたので、再度撮影できてラッキーです。
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髙島屋東京店(国重要文化財)
天保2年(1831)に京都で古着・木綿商として創業した「たかしまや」が、東京の日本橋に髙島屋東京店を開店させたのは昭和8年(1933)のことです。創建時は日本生命が建設した「日本生命館」であり、髙島屋が建物を借り受ける形を取っていました。
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建築に当たっては学士会館や旧前田家本邸を設計した高橋貞太郎の案が採用されました。彼は「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」をコンセプトに、西欧の歴史様式に日本建築の要素を随所に取り入れました。その後、高橋の意匠を継承しつつ、近代建築の手法を用いた村野藤吾の設計による増築が約30 年間にわたり重ねられ、高橋・村野両名のデザインが見事に調和した現在の姿となりました。
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日本初の全館冷暖房装置を備えた百貨店であり、当時のキャッチコピーである「東京で暑いところ、髙島屋を出たところ」は一世を風靡しました。案内係が手動で操作するエレベーターは、機械が最新式に変わっておりますが、創建時のカゴを改修しながら現在も使用し、髙島屋東京店を代表する顔の一つとなっています。
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昭和25 年(1950)から4 年間、百貨店の屋上では象の高子が飼育されており、「象のいる百貨店」として人気になりました。屋上へはクレーンで上げられたそうです。高子はその後、上野動物園に寄贈されましたが、現在でも小象をモチーフにした塔屋が屋上に残っています。
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2009年には、本館が国の重要文化財に百貨店として初めて指定されています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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