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記念艦「三笠」 ①

横須賀に出かけたのは日露戦争で活躍した戦艦三笠が記念艦として保存されているのを見るためでした。
三笠公園の入口を入って行くと・・・。
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大きな錨が置かれている米軍横須賀基地がありました。
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このゲートの奥が米軍基地ですね。
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遊歩道には色々なオブジェが並んでいます。
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「出合い」という題名のブロンズ像。
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灯台型の電話ボックス。
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遊歩道の先にあった「三笠公園」。
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公園内には戦艦三笠が記念艦として保存されています。
三笠は、大日本帝国海軍の戦艦で、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名されました。船籍港は京都府の舞鶴港で、1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗しました。
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三笠の前には東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像が設置されています。
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この売店でチケットを購入して艦内を見学するのですが、この日は券売機が故障していたので、まずは外観の観察です。
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1925年(大正14年)1月に記念艦として横須賀に保存することが閣議決定され、
同年6月18日に保存のための工事が開始され11月10日に工事は完了しました。
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第二次世界大戦中もそのまま保存艦として置かれており、戦争末期の1945年になり横須賀港が空襲や機銃掃射を受けたものの被害を受けることはありませんでした。しかし戦後の物資不足により、取り外せそうな金属類はガス切断によって全て盗まれ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされているという荒廃ぶりとなりました。その後、横須賀市から「三笠」及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、「三笠」の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまいました。
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遊興施設は一時賑わいを見せたものの次第に客足が遠のき、「三笠」は手入れされることなく放置され、錆まみれの鉄屑同然になってしまいます。
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昭和30年(1955)、三笠建造時の乗組員と親交が深かった英国の貿易商ルービン氏は、三笠の惨状を見て慨嘆し、その胸中をジャパンタイムスに投稿しました。この記事は内外に大きな反響を呼び、昭和33年11月、三笠保存会が再興され、全国的な規模で「三笠」復元運動が始まりました。
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復元工事は昭和34年(1959年)に開始され昭和36年(1961年)に完了し、同年5月27日に復元記念式が挙行されました。
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「三笠」は皇居に正対しており、艦首には艦首飾り(菊花紋章)が付けられ燦然と輝いています。
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横須賀港沖を行き交う船。
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三笠が保存されている場所からは猿島に渡る観光船が運航されています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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