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港町架道橋 (20200114)

浜松町駅近くの港町架道橋は、JR山手線・京浜東北線の高架下トンネルで、 炭鉱風のガード下は屋根が低く、怪しい雰囲気を持つため、テレビドラマなどのロケによく使われるそうです。
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少し前まではトンネル内はオレンジ色の照明でしたが、訪問時は半分が昼光色になり、明るくなっていました。
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東側半分はオレンジ色の照明が残されて使われています。
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トンネル内照明は、昭和40年頃から消費電力の低いナトリウムランプが使われていたため、オレンジ色の光を放っていましたが、徐々にLEDライトに交換されているようです。
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昭和の光も少しずつ近代されているようですね。
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東京大神宮 (20200114)

江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いでした。明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された「東京大神宮」は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていました。関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っております。
 現在広く行われている神前結婚式は、「東京大神宮」の創始によるものであり、今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えています。
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飯田橋駅から徒歩5分ほどの、ビルが立ち並ぶオフィス街に鎮座する東京大神宮は、〝東京のお伊勢さま〟として親しまれ、格式高い「東京五社」のひとつです。そして、東京で最も縁結びのご利益がある〝恋のパワースポット〟としても人気急上昇中!とのことです。
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神門
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参道・拝殿
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拝殿
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授与所・拝殿
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東京大神宮と伊勢神宮の大きな違いは、参拝の順序が定められていないことだと言えます。内宮と外宮に分かれている伊勢神宮は、お参りの順序が外宮から内宮へと決められています。東京大神宮は、伊勢神宮のように分かれていないので、一度の参拝で内宮と外宮の両方の神様をお参りできます
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ご覧いただき、ありがとうございました。

神田明神 (20200114)

神田明神(正式名称は神田神社)は、神田祭を行う神社として知られ、神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神で、旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっています。01_20200117154101e5b.jpg



隨神門
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建。総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」など、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻を飾っている。また二層目に金箔をほどこした「繋馬」の彫刻が飾られているが、この繋馬は平将門公に由来する。その後、平成10年の『平成の御造替事業』によって、鮮やかに塗替えられた。外側正面に隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神を安置。この像は熊本城域内の樹齢500年の楠で、加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用している。一木造。長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望(きたむら・せいぼう)氏の監修による。松下幸之助氏奉納。内側には、神馬一対を配している。氏子総代・遠藤達藏氏により奉献。
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社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まります。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称しました。
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祭務所、神楽殿
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だいこく様尊像
昭和51年完成。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立されました。
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御社殿(国登録有形文化財)
昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式です。 江戸開府四〇〇年記念の年・平成15年9月、国登録有形文化財に登録。
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新しい年を迎えて2週間ほど経ちますが、夜にもかかわらず大勢の参拝客が訪れていました。
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明神会館
神田明神の結婚式場「明神会館」で、婚礼相談室もあります。
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おみくじ結び所(おみくじ掛)もハート型をしていてお洒落です。
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銭形平次の碑
銭形平次は、野村胡堂(1882〜1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公で、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和45年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立しました。胡堂の『捕物控』は昭和6年『文藝春秋オール読物』に第1作「金色の処女」が発表されて以来、27年間で383編にもおよびました。神田明神から明神下を見守る場所に建てられ、隣には子分・がらっ八の小さな碑もあります。
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魚河岸水神社
祭神 水神、弥都波能売命(みつはのめのみこと)
日本橋に魚市場があったころに徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・大市場交易神として神田明神境内に祀られたが、明治6年(1873)9月に当時の魚市場内(日本橋長浜町2丁目4番地、現在の日本橋室町1丁目、本町1丁目周辺)に鎮座していた常磐稲荷神社の合殿に祀られました。明治24年(1891)に社名を魚河岸水神社と改め、更に明治34年(1901)9月、再び神田明神境内に遷座し末社として祀られ、盛大に水神祭が執り行われました。市場が日本橋より築地に移り築地魚市場(東京都中央卸売市場築地市場)に移転した後、市場内に当社の遙拝所が建立され、現在も築地魚河岸会の方々を中心に神事が執り行われています。
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小舟町八雲神社
拝殿前の小舟町八雲神社鉄製天水桶 一対は 千代田区指定有形民俗文化財(平成17年4月1日指定)
この天水桶は、地上の高さ1,4メートルほどになる一対のもの。なお、四角形の基壇と台座は石製。
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大伝馬町八雲神社
拝殿前の大伝馬町八雲神社鉄製天水桶 一対は 千代田区指定有形民俗文化財(平成16年4月1日指定)
この天水桶は、地上からの高さが1,4メートルほどになる一対のものである。寸法は高さ76,7cm、口縁部の周囲287,3cm、口縁部の内径82,5cm。八角形の基壇と四角形の台座は石製で、天水桶は鋳鉄製である。天水桶の口縁には「巴」が連続する文様が見られ、また台座は蓮弁(れんべん)を模した形にするなど、装飾も施されてあす。
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江戸神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
大宝2年(702)に江戸の地・現在の皇居内に創建、江戸最古の地主神として今もなお崇敬されています。慶長8年(1603)に神田明神が仮遷座した時に神田駿河台の地に移り、その後、元和2年(1616)に神田明神が現社地に遷座するとともに江戸神社も現社地に移った。江戸重長公や太田道灌公ら関東の武将たち信仰され、江戸時代になると南伝馬町を中心とした人々により信仰されたところから「南伝馬町持天王」「天王一の宮」などと称された。
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鳳輦神輿奉安殿
神田祭において、一の宮・大己貴命がお乗りになる一の宮鳳輦、二の宮・少彦名命がお乗りになる二の宮神輿、神田明神大神輿を奉安する。神田祭の時にこの場所で「鳳輦神輿遷座祭」を執り行う。
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三宿・金刀比羅神社
末社 三宿稲荷神社  祭神 宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
創建年は不詳。江戸時代より神田三河町二丁目(他に皆川町、蝋燭町、旭町の一部が合併され、昭和10年に司町一丁目と改称。さらに昭和41年より内神田1,2丁目の一部に編入される)の守護神として信仰されていた。その後、当社12代神主・芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀され、当社の末社として奉斎された。現在の社殿は、昭和41年10月7日に再建され、金刀羅大神と共に御鎮座された。

末社 金刀比羅神社
祭神 大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
天明3年(1783)に、武蔵国豊島郡薬研堀(現在の東日本橋二丁目両国町会)に創建された。江戸時代には、神祇泊白川家の配下となり、祭祀が斎行されていたが、明治6年(1873)7月に村社に定められた。かついては隅田川の船人たちの守護神として信仰され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食業や遊芸を職とする人々の厚い信仰を集めた。
昭和41年10月7日、両国より神田明神境内に遷座し、三宿稲荷神社とともに御鎮座された。
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末廣稲荷神社
ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇迦之御魂神、級長戸辺之命、級長津彦之命を祀っていた旧社で元和2年の頃の社で極めて古く、昔から庶民信仰が強かった。
現社殿は昭和41年に再建されました。
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合祀殿
平成24年に旧・籠祖神社社地に建立。籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)をはじめ、神田明神本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)や富士神社(木花咲く耶姫命)、天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀している。
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祖霊社
神田明神を尊崇した氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。平成16年に創建。
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えびす様尊像
海の仲間に守られて大海原を渡られる『えびす様』のお姿が造形されています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

諏訪原城址 (20200108)

大井川鐵道のSL撮影後、いつもは新東名で帰宅するのですが、この日は往路で富士山を眺めた牧之原公園に立ち寄りました。しかし、東の空は雲が多くなって富士山鑑賞は撃沈!ふと、足元を見るとキレイに並んだ石畳があり、消えかけた看板には「東海道の石畳」と書かれています。
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本物なのか?と半信半疑で、その石畳を少し辿ってみました。
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後で調べたところ、明治以降に電話線や電線等の敷設により石畳は掘り起こされ、その後舗装されたため、もとの面影は失われたそうです。そこで、平成3年(1991年)、町おこし事業として「平成の道普請・町民一人一石運動」により、全長約1km(金谷坂430m、菊川坂611m)が復元されたそうです。
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帰り道、諏訪原城跡にも立ち寄りました。
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諏訪原城址は、平成29(2017)年 4月6日公益財団法人日本城郭協会により「続 日本100名城」に選定されました。その翌年(2018年)3月には駐車場の空き地だった場所に立派なビジターセンターが建設されました。
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諏訪原城は天正元年(1573)、武田勝頼が遠江侵攻撃の拠点とするために、家臣の馬場美濃守信春に命じて牧之原台地に城を築きました。城内に諏訪大明神を祀ったことから、諏訪原城の名がついたと言われています。諏訪原城は、駿府から遠江に入る要衛の地にあり、高天神城(静岡県掛川市)攻略のための陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。
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天正3年(1575)、徳川家康によって攻め落とされたのち、牧野城と改名され、今川氏真や松平家忠らが城番になりました。「家忠日記」には、堀普請や塀普請などの度重なる改修が行われたことが記されています。天正9年(1581)に、高天神城が落城し、翌年、武田氏が滅亡すると、この城の必要性が無くなりました。その後、徳川家康が関東に移ったことから、天正18年(1590)頃に廃城になったと言われています。
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大手北外堀
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この外堀は城内で一番大きい横堀です。
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二の曲輪北馬出の門(復元)は、発掘調査で確認された門の礎石から平成28年に復元。門の形式は薬医門です。
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本曲輪は、富士山、大井川を望む高台にあり、城の背景は絶壁で「後ろ堅固の城」の教科書的立地にありました。
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富士山、大井川方面の眺望ですが、残念ながら富士山は雲に覆われて見ることができませんでした。
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眼下の金谷駅を通過する貨物列車が見えます。
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諏訪原城址(国指定文化財:昭和50年11月25日指定)
史跡諏訪原城址は東海道武田領の先鋒を勤める重要な拠点の金谷台に天正元年(1573)、武田勝頼の臣馬場美濃守の縄張で築かれた希に見る規模雄大な山城の跡です。
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カンカン井戸は、本丸(本曲輪)脇にある内堀(空堀、6号堀)の底にあります。 台地上なので井戸はできる限り低い位置から掘ったと思われます。現在は、井戸に落ちると危険なので、だいぶ埋められています。
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ビジターセンターの裏には、ポツンと残されたお墓がありました。
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諏訪原城に関係ある人物のお墓なのでしょうか?
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ご覧いただき、ありがとうございました。

大井川鐵道のSL③ (20200110)

急行川根路1号(101列車)を牽引するC108号機。
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平日なので道路も空いています。
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翌日から、合格祈願のHMが付くそうです・・・もうそんな季節なんだな~。
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