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青春18きっぷの旅五回目 京都タワー

京都駅に戻る途中、かの有名?な京都タワーに立ち寄りました。


京都タワーは、京都駅烏丸中央口前に大きくそびえ立っており、台座となっている京都タワービルを含めた高さは131mあり、京都市内では最も高い建造物です。1964年12月28日に開業した京都タワーは鉄骨を一切使わず、厚さ 12mm - 22mm の特殊鋼板シリンダーを溶接で繋ぎ合わせ、円筒型の塔身を作ったもの(モノコック構造)となっており、タワー外部に仮設タワーとクレーンを設け引き上げを行いました。工期は約1年10カ月、総工費は38億6400万円でした。タワーの姿は、市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものです。
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京都タワー西入口から入りましたが、入口がわからずしばらく探し回りました。
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京都駅の東側、山科方面の風景。
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ちょうどEF510が牽く貨物列車は走ってきました。
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清水寺が見えます。
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こちらは東本願寺です。
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先ほど訪問した西本願寺です。
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西側を眺めると新幹線がやってきました。
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京都鉄道博物館からは蒸気機関車の煙が上がっています。
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東寺の五重の塔も見ることができますが、建設当時「東寺の塔よりも高いものは建てない」ことが不文律となっていた京都市で歴史的景観との調和のありようから古都である京都にこのような建造物が必要なのかについて賛否が分かれ、争点となっていました。結局、高さなどの法規制が厳しい建築物ではなく「工作物」として建設されましたが、この議論はこののち、1972年に施行された「京都市景観条例」に制定された巨大工作物規制区域設定の1項目として活かされることになります。
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タワー内には双眼鏡が設置され、無料で使用できます。
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開業40周年を機に作成されたマスコットキャラクターが、2004年12月たわわちゃんとして正式に誕生しました。
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眼下に見えるJR京都駅。
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京都駅烏丸口から見た京都タワー。
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京都駅に戻って帰途に就きます。
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京都17:31→米原18:25 3492M 新快速

米原駅では40分の待ち合わせ時間で駅の周辺をブラブラしましたが、何もありませんでした。(笑)
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米原19:05→浜松21:47 2366F 新快速

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ご覧いただき、ありがとうございました。
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青春18きっぷの旅五回目 西本願寺

西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院で、浄土真宗本願寺派の本山です。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」になり、京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれています。
真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれるようです。文永7年(1272)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されますが、その後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転しました。境内は国の史跡に指定され、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。


興正寺のすぐ北側の北小路通入口に、国宝の唐門への案内板を発見!
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塀沿いに進んで行くと唐門が見えてきました。
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<唐門>国宝
国宝なのに、いとも簡単に見ることができるなんて・・・京都ならではですね。
唐門は桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き(ひわだぶき)・唐破風(からはふ)の四脚門(しきゃくもん)で、伏見城の遺構とも伝わっています。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれています。
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<大玄関門>
隣りの大玄関門も、それなりの建物かと思うのですが、文化財登録はされていないようです。
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<御影堂門>重要文化財
親鸞聖人600回大遠忌を前に、1859(安政6)年に大阪の講社が担当し修理。1960(昭和35)年、親鸞聖人700回大遠忌を前にも修理されました。また、2006(平成18)年から2009(平成21)年にかけて、親鸞聖人750回大遠忌を前に、築地塀と併せて石工事・屋根工事・金物工事などが実施されました。屋根工事では瓦の葺き替えを実施し、再用する旧瓦は南面にまとめられています。
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重厚な門扉です。
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境内側から見た御影堂門。
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<手水舎>重要文化財
破風板には錺金具を付けており、四周を開放し花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸と水盤を据えています。軸部は方形礎盤に几帳面取角柱を立て、内法虹梁(うちのりこうりょう)で繋ぎ、柱頂部の舟肘木と内法虹梁上の蟇股(かえるまた)で受け、鏡天井を張っています。2010(平成22)年に修復されました。
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<御影堂>国宝
寛永13年(1636)再建。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。
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<阿弥陀堂(本堂)>国宝
宝暦10年(1760)再建。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に本尊阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。
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<経蔵>重要文化財
経蔵に納められている『大蔵経(一切経)』は天海僧正の開版されたもので、寛永12(1635)年、江戸の寛永寺で発起し、12ヵ年をかけて完成しまし た。天海版または寛永版とも称されます。幕府の要請と本願寺第13代良如宗主の希望により慶安元(1648)年9月に銀27貫目で購入しました。
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<太鼓楼(左)と御成門>重要文化財
太鼓楼は本願寺の東北角にある重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。 幕末、本願寺を一時的に屯所としていた新撰組による刀傷が、今も残っていると伝えられえています。
御成門は切妻造、本瓦葺の高麗門です。江戸後期の建築と言われています。
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<阿弥陀堂門>重要文化財
昭和期の阿弥陀堂修復事業を機縁とし、1983(昭和58)年、檜皮(ひわだ)の一部葺替、飾金具の修正、金箔押などの補修が行われ、創建当初の美しい姿が再現されました。また、2009(平成21)年に御影堂門・築地塀修理の際にあわせて修復工事が行われました。
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境内側から見た阿弥陀堂門。
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門扉に施された木彫りの装飾。
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門柱に施された龍の金細工も見事です。
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<総門>重要文化財
道路を挟んだ場所にある総門は、現在地までに三度移築されています。一度目は蓮如上人450回忌の1898(明治31)年、二度目は親鸞聖人650回大遠忌を控えた1911(明治44)年。三度目は1959(昭和34)年に交通量の増加に対応した堀川通りの拡張が計画され、京都市の要請で現在地に移転しました。虹梁(こうりょう)に大柄な二組の蟇股(かえるまた)を配しています。2011(平成23)年に修復されました。
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<本願寺伝道院>重要文化財
1895(明治28)年4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、東京
帝国大学教授伊東忠太の設計で竹中工務店の施工により建築されたものです。
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この本願寺伝道院は、様々な使用を経た後に「浄土真宗本願寺派布教研究所」となり、1958(昭和33)年、あそか診療所として1階の諸室が改修され使用されました。その後、「本願寺伝道院」となり僧侶の教化育成の道場として今日にいたっています。親鸞聖人750回大遠忌宗門長期振興計画の一環として、2010(平成22)年から2011(平成23)年にかけて修復されました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅五回目 興正寺

午後になって西本願寺を目指して歩いたのですが、着いたと思ったお寺は興正寺でした。

興正寺(こうしょうじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院で、山号は円頓山(えんとんざん)。
西本願寺の南隣に位置し、かつて西本願寺の脇門跡であったが、明治9年(1876年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となります。本山だけあって大伽藍であるが、壮大な西本願寺の南に隣接しているため、一見西本願寺の伽藍の一部と見まがう。また西本願寺の御影堂があまりに大きいため、興正寺の伽藍が比較的小さく感じられるが、実際には堂々とした規模である。と、Wikipediaにも書かれているように間違いやすいお寺でした。
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<三門>
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三門から見た御影堂。
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<御影堂>
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当寺は阿弥陀如来を本尊とし、親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山である。
興正寺の寺号は、日本に仏教を広めた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興しさかえさす」との意味が込められている。
創建は鎌倉時代にさかのぼり、京都の東、山科の地に建立されたと伝えられている。
(案内版より)
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<阿弥陀堂>
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<御影堂(左)と阿弥陀堂>
本堂は、日光東照宮の本廟・知恩院の三門とともに、日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍でしたが、明治35年(1902年)11月、不慮の火災により、本堂その他ほとんどを焼失します。第28世本常(華園沢称)は直ちに再建し、明治45年(1912年)、現在の両堂大伽藍が完成しました。
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<経蔵>
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<経蔵の屋根飾り>
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<阿弥陀門>
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅五回目 電車ひろば

京都鉄道博物館がある梅小路公園内には旧京都市電の電車が展示されています。
この2001号車は観光案内所として使われていますが当日は平日のため車内は閉ざされていました。
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少し離れた場所に4両の旧京都市電が展示されていて、前の2両はお店として利用されています。
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505号車は電車カフェとして営業してていました。
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隣りの703号車はアクセサリー等の土産物店が入っています。
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店舗営業の後ろには890号車と1605号車が休憩場所として活用されていて自由に乗車ができます。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅五回目 京都鉄道博物館③(扇型車庫)

本館3階南にある展望デッキ「スカイテラス」から京都駅や京都タワーを見ることができます。
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南側は東寺の五重塔と新幹線を見ることができます。
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蒸気機関車の検査修繕に特化した専用検修庫が隣接する梅小路運転区内に新設され、連絡デッキから蒸気機関車検修の作業風景を見学することができます。当日はD51200号機の本線復活作業を行っていました。
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連絡デッキ反対側からは扇形車庫の全景を見渡せます。
看板も「梅小路蒸気機関車館」から「梅小路蒸気機関車庫」に変わっていました。
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<7100形7105号機 義経号>鉄道記念物
7100形は、1880年(明治13年)の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたり、アメリカ
から輸入された蒸気機関車で、ピッツバーグのH. K. ポーター社で合計8両が製造されました。
この機関車は番号の他に歴史上の人物にちなんだ愛称を付されていることでも知られ、西部劇
から抜け出てきたようなアメリカの古典的スタイルと、その愛称とともに日本の古典蒸気機関車
の代表格として親しまれています。
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<C61形2号機>準鉄道記念物
C61形蒸気機関車は、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけてD51形のボイラーを
流用して製造された急行旅客列車用テンダー式蒸気機関車で33両が製造されました。この日は
検査の都合なのか後ろ向きで展示されていました。
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<C62形2号機>準鉄道記念物
C62形蒸気機関車は、1948年から翌年にかけてD52形蒸気機関車の改造名義で49両が製造され、
その牽引力や重量から、輸送量を要求される、主に平坦地や、軟弱地盤の少ない東海道本線、山
陽本線など主要幹線の優等列車牽引に使用されました。
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<C11形64号機>準鉄道記念物
C11形蒸気機関車は、支線・区間運転用機関車群の代替用として1932年(昭和7年)から1947年
(昭和22年)までの16年間に381両が製造されました。
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<9600形9633号機>準鉄道記念物
9600形蒸気機関車は1913年(大正2年)から1926年(大正15年)までの間に770両が製造された
日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。
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<D51形1号機>準鉄道記念物
D51形蒸気機関車は国内情勢が戦時体制へと突入し、貨物機の需要が非常に大きくなったため、
1936年から1945年(昭和20年)までの間に1,115両もの多数の車両が製造されました。
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<C62形1号機>準鉄道記念物
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<B20形10号機>準鉄道記念物
B20形蒸気機関車は、第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて、主として入換え作業を目的
として15両が製造されました。
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<1070形1080号機>
1070形蒸気機関車(1070 - 1118) は、6200形および6270形を支線の小運転や入換に適するよう
に、従軸を1軸追加して、側水槽および炭庫・背水槽を増設し、タンク機関車に改造したもので、49
両が1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)までに大宮工場、浜松工場および鷹取工場で改造
されました。
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<C55形1号機>準鉄道記念物
C55形蒸気機関車は、亜幹線旅客列車用として1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)までの
間に62両が製造されました。また、当時世界的に流線形ブームが起こっていたため、1936年製の2
次車(20 - 40)の21両は流線形デザインにて新造されました。
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<C58形1号機>準鉄道記念物
C58形蒸気機関車は、ローカル線用の客貨兼用機関車として1938年(昭和13年)から1947年(昭和
22年)にかけて、国鉄向けとして427両が製造されました。
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<D50形140号機>準鉄道記念物
D50形蒸気機関車は、第一次世界大戦に伴う国内貨物輸送需要の増大を背景として、また9600型の
後継機として1923年(大正12年)から1931年(昭和6年)の間に380両が製造されました。
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<D52形468号機>準鉄道記念物
D52形蒸気機関車は、第二次世界大戦中に1200tの貨物列車を牽引でき、東海道・山陽本線・函館・
室蘭本線で運用するためにD51形を改良して誕生した機関車で、民間メーカー5社と2か所の国鉄工場
で492両が製造される計画でしたが、終戦により285両で製造は打ち切られました。
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<C59形164号機>準鉄道記念物
C59形蒸気機関車はC53形蒸気機関車の後継機として1941年(昭和16年)から1943年(昭和18年)
までに100両、戦後の1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)までに73両の合計173両が生産
されました。
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<C53形45号機>準鉄道記念物
C53形蒸気機関車は、鉄道省がアメリカから輸入した3シリンダーのC52形を解析のうえ、国産化した
3シリンダー型のテンダー式蒸気機関車で1928年から1929年の間に97両が製造され、東海道本線・
山陽本線の特急・急行列車牽引用の主力として運用されました。
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<C51形239号機>準鉄道記念物
C51形蒸気機関車は、幹線旅客列車用として1919年から1928年の間に289両が製造されました。
従来と比較して飛躍的な性能向上を実現した機関車だったため、超特急「燕」などの優等列車や
お召し列車の専用機関車に指定されたりしました。
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<C56形160号機>準鉄道記念物
C56形蒸気機関車は、閑散支線に最適化された小型軽量で保守の容易な機関車として1935年
(昭和10年)から1939年(昭和14年)までの間に160両が製造されました。C56形は軽量小型で
ありながら長距離の運用に適する設計であったために軍部より注目され、太平洋戦争開戦直前
の1941年11月および12月に、製造された160両のうち半数以上の90両 (C56 1 - 90) が供出され
タイ・ビルマ(現・ミャンマー)へと送られました。
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<8620形8630号機>準鉄道記念物
8620形蒸気機関車は、1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)の間に672両製造された日本
で初めての本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車です。
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真夏でも扇形車庫内はヒンヤリしていて、石炭や油の臭いとともに居心地が良い場所です。
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こちらの二条駅ホームを模したベンチも懐かしい空気に包まれて休める場所でした。
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以前「梅小路蒸気機関車館時」は入口だった旧二条駅舎は、明治37年に建設され、現役時代は日本最古級の木造駅舎といわれていました。平成8年に京都市指定有形文化財に指定された駅舎の中には展示館の他、ミュージアムショップが設置されています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

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