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青春18きっぷの旅五回目 京都鉄道博物館②(屋内展示場)

記事が前後しますが、京都駅から徒歩20分ほどで京都鉄道博物館の入り口に着きました。
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入館料1200円を払ってエントランスホールを抜けてプロムナードに出るとC6226号機、クハ86形1号車、0系新幹線21形1号車が並んで展示されています。
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<C62形26号機>
大阪交通科学館からの移設ですが、艶消し塗装になって綺麗に整備されていました。
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早速、お弁当コーナー出現!一部の展示車両の中で食べることができるようです。
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<DD54形33号機>
欠陥機関車として短命に終わったDD54形では唯一保存されている33号機です。
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プロムナードおよび本館内部の展示車両の多くは大阪交通科学館から移設されたものです。
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「鉄道のはじまり」として蒸気機関の模型も展示されています。
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<230形233号機>鉄道記念物・機械遺産・重要文化財
イギリス製のA8形を基にして、汽車製造会社で量産が行われた初の国産蒸気機関車です。
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230形蒸気機関車は、1902年(明治35年)から1909年(明治42年)にかけて計41両が製造され、官設鉄道に38両が納入されたほか、北越鉄道に1両、北海道鉄道に2両が納入されました。
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壁にズラリと並んだナンバープレートは交通科学館で展示されていたものですね。
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本館中央に並ぶ新幹線500系521形1号車、クハネ581形35号車、クハ489形1号車。
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ナンバープレートと反対側の壁面にはブルートレインのヘッドマークが並べて展示してあります。
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<EF52形1号機>鉄道記念物
EF52形は1931年(昭和6年)までに9両が製造されたが、最後に落成した2両(8, 9)は、高速性能の向上を狙って歯車比が小さく(3.45 → 2.63)されており、1932年(昭和7年)にEF54形に改称されています。太平洋戦争後の1949年(昭和24年)からは、EF54形とならなかった前期型各車は阪和線や中央東線に転じ、最終的には竜華機関区に集結して阪和線の貨客運用に使用されていましたが1975年(昭和50年)に2・7号機が廃車されて形式消滅します。
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<1800形1801号機>鉄道記念物
1800型は、1881年、イギリスのキットソン社から8両が輸入されました。車両に付けられている40の番号は1800形に改番される前の鉄道局時代の番号です。
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<キハ81形3号車>準鉄道記念物
キハ81系は、日本国有鉄道が開発した特急形気動車で、1960年(昭和35年)に量産先行車的要素で特急「はつかり」用として26両が製造されました。運転台を持つキハ81形は他に例のない独特のボンネット形デザインを採用し、その寸詰まりな形態は鉄道ファンの間から「ブルドッグ」などの俗称でも呼ばれました。
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<DD51形756号機>
DD51形は、幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」を推進するため、1962年から1978年までの16年間に649両が製造されたディーゼル機関車です。現状は運転列車の消滅やJR貨物の新型機関車への置き換え、老朽化などにより徐々に淘汰されつつあり、現在全国で30両ほどが残存しています。
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<EF66形35号機>0番台
EF66形は東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)まで55両が製造されました。1985年(昭和60年)3月からは、寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになりますが、最後まで残存した「富士」・「はやぶさ」(東京 - 下関間)の運用が2009年3月14日ダイヤ改正の列車廃止によって余剰や老朽による廃車で両数は減るものの、現在はJR貨物にて運用されています。
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<101系電車>
交通科学館で展示されていた101系のドア装置の可動モックアップも移設展示されています。
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<クハ151系電車>
交通科学館で展示されていた運転台部分のカットモデルが設展示されています。 
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<100系新幹線122形5003号車>
老朽化した初代0系の置き換えを目的として製造された、東海道・山陽新幹線の二世代目の営業用新幹線電車です。
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<485系電車>
485系は交流直流両用特急形電車として1964年(昭和39年)から製造され、外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用しています。
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鉄道とは直接関係ないですが、昭和の象徴であるミゼットが展示されています。これも交通科学館からの移設かな?
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この一角は高度成長期時代(昭和40年前後)の懐かしい風景です。
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当時の改札は自動ではなく駅員さんが一枚一枚キップを切っていました。
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「鉄道の黄金期」に走っていた「つばめ」や「富士」のテールマーク。
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こちらは電車特急やブルートレインのテールマークです。
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本館2階には体験型の展示コーナーやレストラン、休憩所などをがあります。
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<EF58形150号機>
本館に隣接するトワイライトプラザに展示されているEF58形電気機関車です。
EF58形電気機関車は、終戦後の買い出し客を中心とした旅客需要激増により、不足した旅客用電気機関車を補充するために製造されました。
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<EF81形103号機>
1979年(昭和54年)までに156両が日立製作所、三菱電機・三菱重工業で製作され、当初想定の日本海縦貫線や常磐線をはじめ、一部仕様を変更した車両が関門トンネル区間の特殊用途にも使用されました。展示されている103号機は、「トワイライトエクスプレス」牽引に使われた車両で、塗色を客車と同一の緑2号+黄色の配色に変更しています。
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<EF65形1号機>
EF65形はEF60形に続く平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、1979年までに国鉄電気機関車史上最多である308両が製造されました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅五回目 京都鉄道博物館①(スチーム号)

夏季休暇に青春18きっぷで京都鉄道博物館に行ってきました。

浜松6:01→大垣8:09 2103F 特別快速


下り始発に乗るため日の出前の浜松駅に到着。
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大垣8:13→米原8:47 313F
米原8:49→京都9:43 3431M 新快速



4時間弱にて列車を乗り継いで9時43分に京都駅に着きました。
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京都駅から京都鉄道博物館までは徒歩で約20分ほどかかります。
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まず最初は京都鉄道博物館の目玉商品である「SLスチーム号」です。
屋内展示館からの連絡通路から俯瞰撮影することができます。
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今までは手前の芝生ゾーンからの撮影でしたが、ちょっと違ったアングルでの撮影ができますね。
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事前にネットで確認していた時はC622が牽引機だったので楽しみにしていたのですが・・・。
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京都鉄道博物館の開館に伴ってSLスチーム号の客車もリニューアルされました。
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昨年の閉館時に訪問した時も8630号機だったな・・・。
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こちら側は桜の枝が切られて撮影しやすくなっています。
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以前は運転終了時に給水・給炭のため転車台に乗っていましたが、昼過ぎにも給水のため転車台に乗るようです。
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給水を終えて再び転車台に向かいます。
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転車台ではサービス?で一回転するので、好みの角度で撮影できます。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

鉄道博物館

そう言えば、6月に鉄道博物館を訪問していました。
その時に撮影した保存車両です。


<D51形蒸気機関車>
D51426号機は1940年に日本車輌名古屋にて製造され、追分→函館→尻内→厚狭と転属し1972年に廃車になり、前頭部とキャブのみ交通博物館に保存、その後鉄道博物館に移設保存されました。
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<167系電車>
この修学旅行用電車「なかよし」は、2006年5月14日に閉館した交通博物館での展示を目的に、日本車輌製造が実車同様の部品を使用して現地で出張製造を行ったもので、車号はクハ167-1とされ、修学旅行色の車体に「なかよし」のヘッドマークを前面貫通扉に掲出しました。交通博物館閉館後は埼玉県さいたま市の鉄道博物館に移設されています。
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入館料は一般が1000円、小中高生が500円、幼児(3歳以上未就学児)が200円と細かく設定されています。
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<150形蒸気機関車 1号機関車>
1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道開業に際してイギリスから輸入された
蒸気機関車5形式10両中の1形式で、150形は1両のみが輸入され1号機関車
と呼ばれています。1871年(明治4年)、バルカン・ファウンドリー社 製で、国の
重要文化財に指定されています。
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<1290形蒸気機関車>
1875年(明治8年)及び1882年(明治14年)に、鉄道建設工事用にイギリスから輸入されたマニング・ワードル社製の蒸気機関車)で、計3両が輸入されました。このうち1292号機は日本鉄道に引き渡され、埼玉県川口市の善光寺裏まで運ばれ、そこで組立られたことから、「善光」の愛称が与えられています。
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<7100形蒸気機関車 弁慶号>
7100形は、1880年(明治13年)の北海道初の鉄道の開業にあたり、アメリカから輸入された蒸気機関車です。ピッツバーグのH. K. ポーター社で造られた8両は西部劇から抜け出てきたような、アメリカの古典的スタイルの機関車で、その愛称とともに日本の古典蒸気機関車の代表格として親しまれています。
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<9850形蒸気機関車>
9850形蒸気機関車は1個のボイラーを有し、ボイラーの下に2組の走り装置(シリンダー・動輪など)を備えており、スイスの技師アナトール・マレーによって発明されたので、マレー式機関車と呼ばれています。9856号機はドイツのヘンシェル・ウント・ゾーン社から輸入された12両のうちの1両で1912年(明治45年)に来着しました。1924年(大正13年)3月20日付けで、鉄道博物館での展示用として廃車となった9850号機は大宮工場で車体の各部を切開して内部構造がわかるようにされ保存されました。
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<ED40形電気機関車>
ED40形電気機関車は信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)用のアプト式電気機関車で1914年~1923年までに計14両が鉄道院大宮工場で製造されました。ED4010号機は1947年(昭和22年)に東武鉄道へ払い下げられ1968年(昭和43年)に廃車になると復元保存のため国鉄に寄贈されました。
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<EF58形電気機関車>
EF58形電気機関車は1946年から1948年にかけて1号機から31号機までの31両が初期型として製造されましたが、デザインは戦前からの伝統に則った「前後デッキ付の箱形車体」となりました。32号機から34号機は半製品状態だったものを設計変更して、貨物用機関車のEF18形電気機関車として就役し、1952年から1958年にかけて新規製造された35号機から175号機までの141両は流線型の車体で製造されました。また、1953年から1957年にかけて前後デッキ付の箱形車体の1号機から31号機も新造グループ同様の車体・性能に改造されました。EF5889号機はEF58-89号機は昭和31年に東海道本線全線電化開業用として日立製作所水戸工場で製造され東京機関区に配属されました。その後は東海道本線を中心に活躍してJR化後の平成11年に廃車になり保存されました。
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<ED17形電気機関車>
ED17形電気機関車は1923年(大正12年)から1925年(大正14年)にかけてイギリスから輸入された電気機関車群の4形式28両のうちの27両を改造したもので、いずれもイングリッシュ・エレクトリック社のディック・カー工場で製造されたことから、「ディッカー」あるいは「デッカー」と呼ばれました。最初に本形に改造されたのはED50形17両で、1930年から翌年にかけて歯車の歯数比を増大して、勾配の多い中央本線(新宿 - 甲府間)の電化開業用に転用したもので、この改造によりED50形は全車が本形式に編入され、ED17 1 - 17となりました。トップナンバーの1号機は、1970年の廃車後、地元の要望などにより山梨県甲府市の舞鶴城趾公園に静態保存されましたが、1997年(平成9年)に大宮工場(現在の大宮総合車両センター)に移され外観の整備がなされ、その後、鉄道博物館で保存展示されています。
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<C57形蒸気機関車>
C57形蒸気機関車は、1937年(昭和12年)、C55形の63号機として製造が始められた機関車でしたが、改良箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機関車として誕生し、1947年(昭和22年)までの間に201両が量産されました。C57135号機は1940年に三菱重工業神戸造船所で製造され、高崎機関区に新製配置された後、1952年に北海道に渡り、1975年12月14日に室蘭本線で国鉄SL定期旅客最終列車225レを牽引しました。翌1976年に岩見沢第一区で廃車になった後は交通博物館に保存された後、鉄道博物館に移設保存展示されました。
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<EF55形電気機関車>
EF55形電気機関車は1936年(昭和11年)に日立製作所、日本車輌製造(東洋電機)、川崎造船所(川崎車両)で1両ずつ、計3両が製造されました。当時は流線形ブームの只中で、蒸気機関車のC5343号機や、C55形の20 - 40号機が流線形で製造され、電車ではモハ52系、気動車ではキハ43000形が次々と登場している時代であり、本形式もそのような流れの中で製造されました。製造当初は沼津機関区に配置され、特急用として「つばめ」「富士」の牽引を中心に使用されましたが、最高速度95km/h程度では流線形による空気抵抗低減の効果が出ないことや、終端駅では電気機関車であるにもかかわらず転車台により方向転換をしなければならないこと、独特のスタイルで保守に手間がかかることなどにより、わずか3両で製造を打ち切られました。EF551号機は教習用として長らく中央鉄道学園に静態保存されていましたが、後に高崎第二機関区に移され、1985年(昭和60年)に実施された機関車展示会において、同機関区有志の手により、構内運転が可能な状態にまで整備され鉄道ファンの人気を得ました。これを見た国鉄本社は、リバイバルトレインでの運用を前提として1986年(昭和61年)に大宮工場で動態復元し6月24日に車籍を復活させました。
その後は、イベントに欠かせない機関車となりますが、2015年(平成27年)鉄道博物館で保存展示のため廃車になっています。
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<キハ41300形気動車>
本形式は1932年(昭和7年)に鉄道省が、日本車輌製造(日車)本店が開発した私鉄向け大型気動車を参考に設計し、1933年(昭和8年)に竣工したキハ36900形を第一陣とする一連の16 m級機械式気動車シリーズの一形式で、1936年(昭和11年)までに138両が新造されました。その後、使用燃料や搭載機関の相違から、キハ41200形・キハ41300形・キハ41400形・キハ41500形の4形式に細分されています。1957年(昭和32年)の形式称号改定で、両数が増加した気動車の形式の整理が行われ、キハ41300形はキハ04形に区分・改番されます。キハ41307はキハ04 8として国鉄で1958年(昭和33年)に廃車された後、遠州鉄道・北陸鉄道を経て、1972年(昭和47年)に関東鉄道筑波線にキハ461として入線し廃車されるまで、ほぼ原型のままで残存していました。キハ461は、廃車後に原番号であるキハ04 8に戻され、茨城県つくば市のさくら交通公園で保存されてましたが、鉄道博物館で展示のため修復されキハ41307として展示されています。
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<国鉄40系電車 クモハ40074 >
クモハ40074号車は1936年に川崎車輌 にて製造され、東京地区の通勤用として使用されたのち、職員輸送用の事業用車として使用され廃車となります。その後、1988年に動態保存車として復帰してイベント用として運行されていましたが、2000年に運用を終えて保存されました。
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<ED75形電気機関車>
ED75形電気機関車は1963年に常磐線が平駅(現・いわき駅)まで交流電化開業するのに伴い、それまでのED71形の後継機種として、広汎な運用に供するため設計されました。投入開始以来、当初構想の東北・常磐地区のほか、北海道や九州にも投入され、事実上の標準型として1976年までに総数302両が製造され特急列車から一般貨物列車まで幅広く運用されました。ED75775号機は1975年に東芝で製造され秋田に配属されて東北地方で活躍しました。
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<483系電車 ひばり>
1965(昭和40)年10月ダイヤ改正における東北本線盛岡電化で特急「ひばり」、「やまびこ」が電車特急として運転されることになり、481系の50Hz版として 483系 が新製されました。1965・66(昭和40・41)年にモハ482・483-1~15の計30両が製造され、485系と混用されて東日本地区の特急列車で活躍しましたが、1990(平成2)年までに全車廃車になっています。
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<455系電車>
455系電車は、東北本線盛岡・鹿児島本線熊本電化開業用および北陸地区増発用として1965年から製造されました。鉄道博物館ではクモハ455-1が旧国鉄色で館内ヒストリーゾーンに展示されています。
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<EF66形電気機関車>
EF66形電気機関車は、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発されました。当時、名神・東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあったトラック輸送に対抗するため、国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に貨物列車の高速化を計画して専用の新型機関車の開発が開始され、1966年(昭和41年)9月に試作機EF90形が川崎車輛(現・川崎重工業)で完成しました。試作機EF90形の運用結果を基に1968年(昭和43年)からEF66形電気機関車の量産機の製作が開始され、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車を主として使用されてきましたが、1985年(昭和60年)3月からは、寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになりました。EF6611号機は廃車後、2004年から2006年にかけて広島車両所公開イベントで展示されていましたが、展示用としてJR東日本に譲渡。2007年5月21日に大宮まで回送され、展示のための整備を受けた上で鉄道博物館に収蔵されました。
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<新幹線0系電車>
新幹線0系電車は、日本国有鉄道が1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業用に開発した初代の営業用新幹線電車。
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<C51形蒸気機関車>
C51形蒸気機関車は、1919年から1928年の間に、鉄道院(省)浜松工場・汽車製造(大阪)・三菱造船所(神戸)において、合計289両が製造されました。最初の18両は国鉄各工場で部品を分担製造し、浜松工場で最終組立を行なうといった珍しい手法が採られました。これは試作的なものだったらしく、性能試験などを行なった後、民間メーカーでの量産が開始され、量産形のうち大部分の249両は汽車会社が独占的に製造、他に三菱造船所が1926年から22両を製造しています。C51形蒸気機関車は、従来と比較して飛躍的な性能向上を実現した機関車で、牽引力・高速性能・信頼性において高い水準を達成し、1920年代から1930年代には主要幹線の主力機関車として用いられました。C515号機は1920年に浜松工場で製造され関西地区で活躍した後、青梅鉄道公園に保存のため1962年に奈良区で廃車になりました。その後、鉄道博物館の開館で青梅鉄道公園から移設されました。
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<新幹線200系電車>
新幹線200系電車は、1982年(昭和57年)に開業した東北新幹線・上越新幹線の初代営業用車両。
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<181系電車>
1956年(昭和31年)秋の東海道本線全線電化に伴い、東京 - 大阪間を6時間30分で運転する電車特急が計画され、翌1957年に完成した国鉄初の新性能電車となる90系電車を基本に設計された特急用電車が20系電車で、1958年11月に最初に投入された列車の愛称から「こだま形」とも呼ばれました。東海道新幹線開業前の東海道本線のみならず国鉄黄金時代を象徴する車両で1959年には第2回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。20系電車は1959年の車両称号規程改正で151系電車に改称され、1962年には上野 - 新潟間特急「とき」用に製造された派生型の161系電車が落成。1965年には改造と新製車の仕様を統一した181系電車に発展します。
181系電車は、151系からの改造車150両、161系からの改造車15両、製造途中で161系から変更され181系として落成した3両、新製車59両、485系からの改造車3両の総計230両で、そのため細かな番台区分が行われています。鉄道博物館に保存されたクハ181-45は廃車後に新潟車両センターで通常は非公開の状態で静態保存されていたものです。
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最後は交通博物館内のターンテーブル周辺に展示されている車両たちです。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

9月の小便小僧

9月になって浜松町駅の小便小僧を見てきました。
先月は残念ながらカメラに収めることができませんでしたが・・・。

9月は祭りだ!

鉢巻を巻いて法被を着て団扇を腰にさした粋な姿でした。

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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅四回目(浜松帰省)⑥

入山瀬12:49→富士12:59 身延線普通列車


富士駅に戻ってきました。
富士駅の駅舎は南北自由通路を併設する橋上駅舎で、こちらは北口になります。
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こちらは南口です。富士駅は1889年(明治22年)東海道本線の沼津 - 静岡間の開通時には開設されませんでした。その後、加島村(後の富士市)と地元有志による熱心な誘致活動が行われた結果、路線開通20年後の1909年(明治42年)に富士駅が開業し、同時に誘致活動が行われた製紙工場(富士製紙第八工場、後の王子製紙富士工場)も同時期に操業を開始しています。
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ホームおよび駅構内は地上駅であり、東西方向に伸びる島式ホーム3面6線を有し、乗り場は北側から1番線・2番線の順で、6番線まであります。構内北側にある身延線用の1番線・2番線は行き止まり式のホームで、吉原駅側(東側)に車止めが設置されています。
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JR貨物が東海道本線の第二種鉄道事業の免許を有しており富士市周辺の貨物を取り扱う貨物駅として機能しています。
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さて、浜松帰省のため富士駅から浜松行きに乗り込みましたが、なんと!3両編成で車内は大混雑。そのうえ2時間近く走行するにもかかわらずトイレ無し車両です。JR東海の金儲け主義、顧客後回し主義が表れている列車ですね。
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富士13:36→島田14:49 東海道本線 普通列車≪豪雨のため運転休止≫


島田駅に着くと、さらに追い討ちをかけるように集中豪雨で運転休止になってしまいました。
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この先の菊川-金谷間で規定以上の降雨のため運転再開の予定が立たないとのことで島田駅で待機することに・・・暇なので豪雨の駅前を散歩してみました・・・。(笑)
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雨も小降りになり車内に戻って待っていると、17:00頃に運転再開の案内放送があり列車が動き出しました。

島田17:00頃→浜松18:00頃 東海道本線 普通列車≪豪雨遅延≫

結局、浜松には2時間半ほど遅れて18:00過ぎに到着・・・今回は疲れましたね。


ご覧いただき、ありがとうございました。

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