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朝霧高原の富士山 (9月17日撮影)

台風18号が通過した翌日、台風一過の快晴の下で世界遺産の富士山を撮影してきました。


夜明け前の朝霧高原で富士山のシルエットを撮影。
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こちらは、帰路にほぼ同じ場所で撮影した富士山です。
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雪が無いのはちょっと淋しいですが、山頂周辺はほとんど樹木は生えていないようです。
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撮影中、交通事故のケガ人搬送でドクターヘリが飛来しました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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1972年の遠州鉄道

遠州鉄道は昔から赤系統の塗装が車両の標準色であったことから、地元では遠鉄の車両を指して「赤電」と呼んでいます。私が撮影を始めた1972年当時は西ヶ崎に車両基地があり、留置されていた木造電車の撮影に出掛けました。

当時の西ヶ崎の車庫周辺は雑然とした風景ですね。
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古典木造電車のモハ1形モハ2号機が休車扱いで留置されていました。
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かなり荒れた状態でしたが、結局保存もされずに解体されてしまったようで残念です。
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この画像は、現在車両基地になっている西鹿島駅ですが、当時は国鉄二俣線に接続する終着駅として存在していました。
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西鹿島は遠州鉄道の終着駅でしたが、1966年(昭和41年)9月までは国鉄二俣線の遠江二俣まで気動車が乗り入れていました。1972年撮影の駅名票には二俣線乗入れの名残で次駅の二俣本町が表記されています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

豊橋駐泊所と飯田線 (1972年撮影)

二俣線の無煙化と同時期まで豊橋駅では入れ替え用にC50形蒸気機関車が使われていました。
無煙化後一年ほど経って、豊橋に廃車の機関車があると聞きつけて出掛けてきました。



豊橋駅構内外れにC5095、C5096号機の2両がナンバープレートを外されて留置されていました。
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豊橋駐泊所は転車台と2線の機関庫を有する小規模な施設で、電気機関車や電車が並ぶ機関区とは反対の駅東側にありました。
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豊橋から飯田線で豊川まで移動して旧型電気機関車を撮影したのですが、期待していた古典電機のED17型は前年にEF10形に置き換えられていました。
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当時、一両だけ豊橋に配置されていたEF1599号機も飯田線に使われていました。
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鉄道がまだ勢いがあった時代、飯田線には荷物電車のクモニ83が使われていました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

遠江二俣の頃 (1972年撮影)

私が写真撮影を始めたのは1971年の春、中学1年の時でした。
地元の二俣線に残っていた蒸気機関車が消え去るとのニュースを見て、父親のカメラを借りて金指駅まで連れて行ってもらい撮影したのが最初でした。
東海道新幹線が開業し近代化に向かっていく中で、まだ蒸気機関車が走っていたのは驚きであり、実物を見た時の迫力に圧倒されたのを覚えています。

1971年の春で無煙化された二俣線でしたが、機関区が遠江二俣にあり、小規模な扇形機関庫が残されていることや、駅前にC58389号機が保存されたことを知り、その後何回か訪問していました。



第三セクターの天竜浜名湖鉄道になってからは駅名が天竜二俣駅に改名されています。
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駅前に保存されたばかりのC58389蒸気機関車は、まだ現役時代の姿をしていました。
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C58蒸気機関車からDE10ディーゼル機関車に代わった遠江二俣機関区。
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別の日に訪問した時は気動車も機関庫に入っていました。
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新製配置された二俣線のDE10ディーゼル機関車。
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遠江二俣機関区のDE10は、1515~1525号機まで連番で11両が新製配属されました。
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機関庫内のDE101523号機。
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天竜川橋梁を渡って来たDE101520号機。
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1985年(昭和60年)二俣線の貨物列車は廃止となります。
その2年後の1987年(昭和62年)には第三セクターの天竜浜名湖鉄道に生まれ変わります。



ご覧いただき、ありがとうございました。

黒い電気機関車EH10

国鉄現役蒸気を撮影していた頃、東海道本線にはEH10形という黒い機関車が走っていました。
EH10形は、1954年(昭和29年)に登場した日本国有鉄道の直流電気機関車で、1957年(昭和32年)までに64両が製作され、東海道本線・山陽本線の貨物列車牽引用に使用されました。
車体塗装は黒色に黄色の細帯を入れたいささか物々しいもので、それ以前の電気機関車における茶色塗装に比べて力強い印象を与えました。
EH10は国鉄が製作した唯一の8動軸機であり、国鉄史上最大級の電気機関車でした。



試作機の1~4号機は外観上の特徴としてパンタグラフが中央寄りに設置されました。これはパンタグラフ間の引き通し線の重量を削減するため、車体中央寄りに設置され、2つの車体の連結面側に設置されました。(EH103:浜松駅下り線 1972年撮影)
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次位に回送のEF5860お召予備機が連結されています。(EH104:浜松駅上り線 1973年撮影)
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5号機以降の量産型ではパンタグラフの位置は両端近くに離されました。これは、試作機のパンタグラフの位置が近すぎる事で、架線への押し上げ力が過大となったり、高速走行中に共振を起こすなど架線への悪影響を考えて改良されました。(EH1020:天竜川-浜松 1973年撮影)
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浜松駅を通過するEH1047牽引の上り貨物列車。(1973年撮影)
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EF60と重連になったEH1060号機牽引の下り貨物列車(浜松駅下り線 1972年撮影)
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