mr.slim の PHOTO BLOG

中年オヤジの写真館です。

小田原城

この日は少し足を延ばして小田原まで行ってきました。
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駅構内には巨大な「小田原提灯」がぶら下がっています。
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小田原と聞いて最初に思いつくのは小田原城ですね。
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行ってきました。
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小田原駅から徒歩で10分ほどかかります。
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小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が八幡山に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張されました。
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この日は銅門の特別公開が行われていました。
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平成9年10月に再建された銅門の内部です。
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小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。また、大正12年(1923)9月の関東大震災により石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいます。
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現在の小田原城天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。
江戸時代に造られた雛型や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。復興に当たっては、「瓦一枚運動」が展開され、多くの市民からの寄付が寄せられました。
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2015年7月から耐震工事及び屋根瓦や壁の修復が行われていましたが、2016年5月1日よりリニューアルオープンしています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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  1. 2016/05/22(日) 00:00:23|
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姫路城

青春18きっぷの一日分が残っていたので姫路城に行ってきました。
姫路には昼前に到着し、駅から北に向かって徒歩10数分で到着します。
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姫路城は姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されています。また、1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。
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姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っています。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もあります。
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三の丸広場から眺めた姫路城。
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今年3月に平成の大修理を終えたばかりなので大勢の観光客が来ています。
長い行列に並んで入場門に向かいます。
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別名の白鷺城(はくろじょう)の名の如く白壁が美しく華やかな構成美が羽を広げて舞う白鷺にたとえられています。
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入場料の1000円は全国の城郭では最も高額なんだそうです。
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でも「国宝」&「世界遺産」なんだもんなぁ~。
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入場と同時に天守を目指しましたが・・・。
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ここが天守閣入場の最後尾で、建物に入るまで1時間、天守閣内部を見て回るのに1時間・・・帰りの列車まで2時間半しかありません。ここで2時間も潰すことはできないので天守閣入場はパス!残念ながら諦めました・・・。
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天守を諦めて外からお城の周りを散策すると、姫路城歴代(明治・昭和・平成)の鯱がありました。
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姫路城の本丸下、「上山里」と呼ばれる一角に幡州皿屋敷の「お菊井戸」があります。
「この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」といわれています。永正年間(1500年頃)姫路城主・小寺則職の執権・青山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣・衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企みを探らせました。則職暗殺を察知したお菊が元信に知らせたため則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の動きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。
その後、毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚、・・・9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。やがて元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。」(お菊井戸の説明板より)
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三国堀越しに眺めた天守。
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<西の丸長局>(百間廊下)西の丸の中書院に当たる場所で、御殿を囲むように造られた300mもの廊下に並ぶ部屋には、千姫に仕えた侍女たちが住みました。千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。
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<化粧櫓>内部は畳を敷いた御殿のような造りで、西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。
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雲が切れて青空が広がって来ました。
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青空に姫路城(白鷺城)が映えますね。
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世界遺産の姫路城には外国人も多く来ていましたが、民族衣装を身にまとった方たちもおりました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
  1. 2015/09/10(木) 00:00:49|
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吉田城

吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。<Wikipediaより>
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ご覧いただき、ありがとうございました。
  1. 2015/03/13(金) 00:00:16|
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名古屋城

名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。
姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭にも「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われています。大天守に上げられた金の鯱「金鯱(きんこ)」は、城だけでなく名古屋の象徴にもなっています。
大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和の戦前期まで残存していましたが名古屋大空襲(1945年)によって大部分を焼失しました。戦後に天守などが外観復元され、現在城跡は名城公園として整備されています。


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名古屋城のお堀には、はぼ野生化したシカが住んでいます。
言い伝えでは、放し飼いにされたシカは御殿女中の遊び相手だったが、城内の木の葉を食べ発情期に暴れたため、堀の中で飼うようになったという説や、太平洋戦争後、名古屋城の客寄せのため東山動物園からシカ3頭を連れてきて堀に放したという話もあり、全盛期にはお堀に住むシカの頭数が56頭だったことがあるそうです。現在残っている2頭は母子とみられるメスで、このままではいずれいなくなるため、名古屋市はシカを譲り受けることを検討しているそうです。

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2007年(平成19年)に、文化庁より本丸御殿の復元工事が許可され、2008年(平成20年)に復元工事が着工されました。2010年(平成22年)に第一期工事のうちの玄関部分の復元過程の一部が特別公開され、またこれにあわせて、戦災を免れた障壁画の復元模写も同時に進められています。
2018年(平成30年)の全体公開を目指して総工費150億円が投じられて復元中です。
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名古屋城の金鯱ですが、1612年(慶長17年)名古屋城天守が竣工した当時は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3キログラムの金が使用されたといわれており、高さは約2.74メートルありました。
しかし、鯱の鱗は藩財政の悪化により、1730年(享保15年)・1827年(文政10年)・1846年(弘化3年)の3度にわたって金板の改鋳を行って金純度を下げ続けます。そのため、最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠すため金鯱の周りに金網を張り、カモフラージュしました。この金網は、表向きは盗難防止(実際に何度か盗難にあった)や鳥避けのためとされ、戦災により焼失するまで取り付けられていました。

現在の金鯱は復元されたもので、復興天守建造の時に日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師の大阪造幣局職員の手により製造され、一対に使用された金の重量は88キログラムでした。

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ご覧いただき、ありがとうございました。
  1. 2014/03/20(木) 00:00:56|
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諏訪原城跡 (2月16日撮影)

諏訪原城は、天正元年(1573)、久野・掛川の両城を牽制するため、武田勝頼によって築かれたと見られています。さらに高天神城攻略のための陣城として、攻略後の兵站基地として重視されていました。しかし勝頼が天正3年(1575)の長篠・設楽原合戦に敗れると徳川家康は遠江東部を制圧し、諏訪原城も同年6月から8月にかけて家康の猛攻を受け落城しました。
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本城の名称には金谷城、諏訪原城、牧野城と史料上に3種類がみられます。
①永禄12年(1569)、武田信玄が金谷の台地に城を築いたとあるのが金谷城で、これが諏訪原城の前身と考えられていましたが、はっきりとした確証はありません。
②現状の諏訪原城は、天正元年(1573)9月に武田勝頼が、遠江の見付まで攻め込み、その帰りに、武田信豊・馬場美濃守信房に命じて築城させたときのものです。城内に諏訪大社を祀ったので、そのあたりを「すわの原」と呼び、城の名前も諏訪原城になったと考えられています。
③天正3年8月に落城すると、徳川家康によって牧野城と改名されました。

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諏訪原城には、大小あわせて20ほどの堀が残っています。どれもが圧倒的なスケールで、戦国期の土木技術の高さには目を見張ります。
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遺構は本曲輪・二の曲輪・大手曲輪・惣曲輪・出曲輪などからなります。本曲輪を中心に二の曲輪、惣曲輪などの配置が、扇を開いた形に似ていることから別名「扇城」とも呼ばれます。
城跡は国指定の史跡となっており、隣接地には駐車場も完備されています。
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諏訪原城は山城のため天守閣は無く、2層からなる櫓から監視をしていたそうです。
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本曲輪の東側からは、大井川をはさんで志太平野を一望のもとに見渡すことができます。
手前にカーブしているのが金谷駅で、比高差は約110mほどあるそうです。
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城跡からは富士山も望むことができます。
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山城と呼ばれるアップ&ダウンの散策コースは一周するのに20~30分ほど掛かりました。
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城内には諏訪原城の名の由来になったといわれる諏訪神社が祀られています。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
  1. 2013/03/09(土) 00:00:57|
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中学生の頃、消えゆく蒸気機関車を撮影するために写真を始めました。
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