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DD11ディーゼル機関車

DD11形ディーゼル機関車は気動車用のディーゼルエンジンを使用し、変速機に液体変速機を採用した国鉄初の液体式ディーゼル機関車です。
1954年(昭和29年)に1次型が3両、1957年(昭和32年)に2次型6両の合計9両が、いずれも汽車製造により製造され、1次型と2次型では細部の構造が異なっています。
国鉄の機関車としては本線用としても入換用としてもあまりに非力な設計で、2両重連でC12形蒸気機関車1両程度の出力しか出せない本形式は通常の駅構内入換用としても実用上問題があったそうです。このため当初は久里浜支区、竹下気動車区、早岐機関区など、在日米軍基地や海上自衛隊基地などに隣接した機関区・気動車区に配置され、弾薬庫や燃料関連施設などの蒸気機関車の使用が困難な火気厳禁区域での入換に用いられました。
1978年(昭和53年)までに全車国鉄から除籍され廃車になりますが、その多くが専用線などに払い下げられました。

1975年(昭和50年)に住友金属工業小倉製鉄所の構内入換用として払い下げられた8号機が、廃車後の1986年(昭和61年)に北九州市交通科学館に静態保存されましたが、同館が2003年(平成15年)に閉館したため2008年(平成20年)に解体され、現存するDD11形は存在しません。

<広島機関区>
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<N氏撮影 転載禁止>

ご覧いただき、ありがとうございました。
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豊橋駐泊所と飯田線 (1972年撮影)

二俣線の無煙化と同時期まで豊橋駅では入れ替え用にC50形蒸気機関車が使われていました。
無煙化後一年ほど経って、豊橋に廃車の機関車があると聞きつけて出掛けてきました。



豊橋駅構内外れにC5095、C5096号機の2両がナンバープレートを外されて留置されていました。
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豊橋駐泊所は転車台と2線の機関庫を有する小規模な施設で、電気機関車や電車が並ぶ機関区とは反対の駅東側にありました。
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豊橋から飯田線で豊川まで移動して旧型電気機関車を撮影したのですが、期待していた古典電機のED17型は前年にEF10形に置き換えられていました。
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当時、一両だけ豊橋に配置されていたEF1599号機も飯田線に使われていました。
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鉄道がまだ勢いがあった時代、飯田線には荷物電車のクモニ83が使われていました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

遠江二俣の頃 (1972年撮影)

私が写真撮影を始めたのは1971年の春、中学1年の時でした。
地元の二俣線に残っていた蒸気機関車が消え去るとのニュースを見て、父親のカメラを借りて金指駅まで連れて行ってもらい撮影したのが最初でした。
東海道新幹線が開業し近代化に向かっていく中で、まだ蒸気機関車が走っていたのは驚きであり、実物を見た時の迫力に圧倒されたのを覚えています。

1971年の春で無煙化された二俣線でしたが、機関区が遠江二俣にあり、小規模な扇形機関庫が残されていることや、駅前にC58389号機が保存されたことを知り、その後何回か訪問していました。



第三セクターの天竜浜名湖鉄道になってからは駅名が天竜二俣駅に改名されています。
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駅前に保存されたばかりのC58389蒸気機関車は、まだ現役時代の姿をしていました。
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C58蒸気機関車からDE10ディーゼル機関車に代わった遠江二俣機関区。
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別の日に訪問した時は気動車も機関庫に入っていました。
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新製配置された二俣線のDE10ディーゼル機関車。
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遠江二俣機関区のDE10は、1515~1525号機まで連番で11両が新製配属されました。
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機関庫内のDE101523号機。
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天竜川橋梁を渡って来たDE101520号機。
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1985年(昭和60年)二俣線の貨物列車は廃止となります。
その2年後の1987年(昭和62年)には第三セクターの天竜浜名湖鉄道に生まれ変わります。



ご覧いただき、ありがとうございました。

黒い電気機関車EH10

国鉄現役蒸気を撮影していた頃、東海道本線にはEH10形という黒い機関車が走っていました。
EH10形は、1954年(昭和29年)に登場した日本国有鉄道の直流電気機関車で、1957年(昭和32年)までに64両が製作され、東海道本線・山陽本線の貨物列車牽引用に使用されました。
車体塗装は黒色に黄色の細帯を入れたいささか物々しいもので、それ以前の電気機関車における茶色塗装に比べて力強い印象を与えました。
EH10は国鉄が製作した唯一の8動軸機であり、国鉄史上最大級の電気機関車でした。



試作機の1~4号機は外観上の特徴としてパンタグラフが中央寄りに設置されました。これはパンタグラフ間の引き通し線の重量を削減するため、車体中央寄りに設置され、2つの車体の連結面側に設置されました。(EH103:浜松駅下り線 1972年撮影)
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次位に回送のEF5860お召予備機が連結されています。(EH104:浜松駅上り線 1973年撮影)
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5号機以降の量産型ではパンタグラフの位置は両端近くに離されました。これは、試作機のパンタグラフの位置が近すぎる事で、架線への押し上げ力が過大となったり、高速走行中に共振を起こすなど架線への悪影響を考えて改良されました。(EH1020:天竜川-浜松 1973年撮影)
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浜松駅を通過するEH1047牽引の上り貨物列車。(1973年撮影)
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EF60と重連になったEH1060号機牽引の下り貨物列車(浜松駅下り線 1972年撮影)
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ご覧いただき、ありがとうございました。

浜松機関区 (1972年撮影)

東海道本線名古屋電化までの浜松駅には扇形機関庫を有した広大な機関区がありました。
1949年(昭和24年)5月20日に静岡~浜松間が電化され、東京からの列車は浜松駅で電気機関車から蒸気機関車に牽引を交代して運転されました。その4年後の1953年(昭和28年)には名古屋まで電化開業します。当時は蒸気機関車や電気機関車など多数の所属機を抱えていたため、大規模な機関区だったことが想像されます。
その後、東海道新幹線の工事に伴って扇形機関庫は解体され、新幹線と在来線の間に収まるようなかたちで新生機関区が誕生しました。
私が訪問した当時は、かつての蒸気時代の遺構は残っておりませんでしたが、ゴミ捨て場の仕切りが蒸気機関車の除煙板で作られていたのを記憶しています。



EF60の500番台は、20系客車寝台特急牽引用EF58形の置換え用して製造されたグループで、501~514号機が該当します。外部塗色は20系客車と意匠を合わせ、地色は青色で前面窓まわりと側面の帯をクリーム色としましたが、後に一般型と同じ塗装になっています。
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EF60512号機から、前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配したデザインになっています。
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EF18のデッキに掴まっているのは、中学3年の「ガキ鉄」だった頃の私です。
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当時の浜松機関区は事務所を訪ねて見学許可をもらい腕章を付ければ自由に見て回れました。
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車庫内で整備を受けていた、お召予備機のEF5860号機。
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