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九州一周4800キロ放浪旅-41 (豊後森機関庫ミュージアム)

豊後森駅に到着しました。豊後森駅は久大本線の重要な拠点駅としての機能を持っていて、かつては隣りの恵良駅を起点とする宮原線の列車が1984年の同線廃止まで当駅に発着していました。駅構内は駅舎に接した単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線を有する地上駅で、ホーム間は跨線橋で結ばれており、駅舎は三角屋根の木造建築となっています。
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2013年には観光開発の一環として、ななつ星in九州の運行開始に合わせて、水戸岡鋭治のデザインにより駅舎を茶色に塗装する等の改修が行われています。
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JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅のため、窓口の営業時間は7時10分 - 19時15分で、営業時間外は駅員不在になります。
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駅東側から構内を撮影。
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かつて駅東側には豊後森機関区が併設されていました。1934年(昭和9年)の久大線の全線開通時に開設され、ディーゼル化にともない1970年(昭和45年)に廃止されましたが、扇形機関庫と転車台は機関区の廃止後もそのまま残されており、現在は豊後森機関庫ミュージアムとして公開されています。
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扇形機関庫は、2001年(平成13年)に地元の有志によって保存委員会が結成され、登録有形文化財の登録を受けるべく活動が開始され、その一環として行われた「一万人の署名運動」では、玖珠町の人口を上回る22,437人分の署名が集まり、2012年には登録有形文化財に登録されました。
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2006年(平成18年)3月には、町が機関庫をJR九州から買い取り、扇形機関庫と転車台は、2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産に認定され、2015年6月には、福岡県志免町に保存されていた9600形蒸気機関車(29612号機)が移設され、同年11月には「豊後森機関庫ミュージアム -BUNGOMORI ROUNDHOUSE MUSEUM-」が開設されました。
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扇形機関庫を背にして保存されている29612号機。
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豊後森機関区は、鉄筋コンクリート造で1,785m2の面積を有し、最盛時には蒸気機関車21台が所属する大規模な扇形機関庫でした。
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太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月4日には、米軍機の機銃掃射によって職員3人が死亡する被害を受け、機関庫の壁面にはその際の弾痕が残っているそうです。
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機関庫内は安全性の問題から通常は立入禁止になっていますが、特別公開もあるそうです。
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九州一周4800キロ放浪旅-33 (鳥居橋)

宇佐神宮から次の目的地に移動する途中に立派な石橋を見つけて立ち寄りました。この石橋は、橋脚が細長くすらりとした様子から「石橋の貴婦人」とも呼ばれる「鳥居橋」で、大変美しい姿をしています。
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鳥居橋は、駅館川水系恵良川に架かる石造5連アーチ橋で、橋長:55.15m、橋高:14.05mあり、1916年(大正5年)に「石橋王」と呼ばれた石工、松田新之助により造られました。
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1992年(平成4年)3月27日に大分県の有形文化財に指定されています。
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宇佐市院内町を南北に流れる駅館川水系の恵良川とその支流には、江戸時代の終わりから昭和の初めにわたって架けられた74基もの石橋が残っており、「日本一の石橋の町」と言われています。院内町に石造アーチ橋が多いのは深い谷が多くあり谷の両側に集落が点在するという地形上の理由があり、川が急流で、木橋では流されてしまうために石橋が求められました。このような沢山の石橋を架けたのは院内の石工たちで、名棟梁・松田新之助に代表される優れた石工たちの匠の技が「日本一の石橋の町」にしました。
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軽トラが鳥居橋を渡ってきました。
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他にも小規模な石橋がありましたが、橋名はわかりませんでした。
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九州一周4800キロ放浪旅-12 (門司港駅) 2020年3月29日

九州上陸後、深夜の門司港駅に立ち寄りました。2年前の訪問時は補修工事中で全容を見ることができなかったので、門司港駅を最初の訪問地としました。
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門司港駅は、関門トンネルが開通するまでは九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わいました。当初は、九州鉄道の起点の門司駅として1891年(明治24年)4月1日に開設されました。初代の駅舎が建てられたのは現在の門司駅舎が所在する地点よりも東側、今の北九州銀行門司支店の裏手あたりになります。
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訪問した時は、すでに最終列車も出た後なので、駅構内は閑散としていました。
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1914年(大正3年)に、現在の2代目駅舎が完成して移転開業しました。その後も九州の鉄道の起点としての地位を保っていましたが、関門トンネルの開通に伴って門司駅の名前は関門トンネルが接続することになる大里駅で使うことになり、当駅は門司港駅へと改称することになりました。
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駅を出たタクシー乗り場の端に9600形の動輪が保存展示されています。
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留置線には813系電車が停まっていました。
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翌3月29日も、早朝から再び門司港駅を訪れました。
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門司港駅は、1988年に駅舎が重要文化財に指定されましたが、2012年より開業当初の姿に復原・耐震工事を行い、2019年に工事が完了しました。
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駅構造は、頭端式ホーム2面4線を有する地上駅で、3番線はホームに面していない留置線(もとは機回し線)に付けられているので南側から1 - 5番線となっています。2つのホームの間には日本の鉄道開業100周年を記念して建立された九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標があります。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

大日本報徳社(20200306)

大日本報徳社は、二宮尊徳の「報徳の教え」を広めるための全国組織の本社です。国の重要文化財である大講堂を始め、明治期を中心に建てられた仰徳記念館・仰徳学寮・冀北学舎・正門・報徳図書館の見学と貸室、また様々な後援会等を行っています。

大日本報徳社正門
道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年の建立。これは道徳と経済の調和した社会づくりをめざす、報徳の教えを象徴しています。(静岡県指定文化財)
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旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)
正門をくぐると正面に建っているのが大講堂です。日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓等、荘厳な重みが感じられる和洋折衷の建物です。この大講堂は、報徳運動の拠点として明治36年に建設され、当初は「遠江国報徳社農学社公会堂」と呼ばれていました。公会堂として建てられた建物では日本で2番目に建築され、現存する公会堂としては最古の建築物となるため、貴重な文化施設です。(国指定重要文化財)
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大日本報徳社敷地内の建物
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大日本報徳社大講堂
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大日本報徳社大講堂の裏側
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仰徳学寮
仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。講堂の前方北寄りに位置し、東西に棟を向けて建つ木造総二階建て寄棟造りの建物です。(静岡県指定文化財)
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冀北(きほく)学舎
明治10年から17年、岡田良一郎が掛川市倉真の自邸に開いていた北学舎は、その使命に幕を閉じた後、この地に移築され、明治期の報徳運動を今に伝える貴重な建造物として保存されています。(静岡県指定文化財)
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仰徳(こうとく)記念館
明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。(静岡県指定文化財)
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淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館
大日本報徳社第二代社長であった岡田良一郎(淡山)の多大な遺徳を記念し、昭和2年に建てられた鉄筋コンクリート造りの図書館。建築学的に見ても、往時の図書館様式を今に伝える貴重な建造物です。(静岡県指定文化財)
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ご覧いただき、ありがとうございました。

旧遠州銀行本店(静岡銀行浜松営業部)

この日は銀行に行く用事があったので、久しぶりに赤電(遠州鉄道)に乗ってみました。
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旧遠州銀行本店の建物は、昭和20年(1945年)6月18日の浜松大空襲で辺り一面が焼け野原になりましたが焼失をまぬがれ、「静岡銀行浜松営業部」として現在も使用されています。
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1920(大正9)年6月に資産銀行と西遠銀行が合併し、当時の遠州地方最大の銀行である遠州銀行が誕生しました。
もともと西遠銀行の本店は1916(大正5)年3月に伝馬町に構えられており、合併して遠州銀行となった後、1928(昭和3)年6月3日に田町に本店を構えます。総工費は当時の半期純利益に相当する45万円で、地方銀行としては相当のものでした。1923(大正12)年の関東大震災を教訓に、堅牢な建物が造られました。その後、1943(昭和18)年に遠州銀行は静岡三十五銀行と合併して静岡銀行となり、遠州銀行本店は静岡銀行浜松支店となります。
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外壁は花崗岩張りで仕上げられており、ギリシャ神殿風の外観で、正面の東側には4本のイオニア式の円柱が3階まで伸びているのが印象的です。街路に面している北側には特に装飾はされておらず、シンプルに仕上げられています。東側・北側ともに1階にはアーチ状の窓が設けられ、中央に大きな扉があるが現在出入りには使われていません。
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2005(平成17)年には静岡で最初の本格的な鉄筋鉄骨コンクリート造の建物として浜松市の文化財に指定されています。
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ロビーは2階までの吹き抜けとなっており、2階部分の回廊と手すりには連続する波型のデザインが施されています。また、2階の部屋は回廊に面する形で配置されています。
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静岡銀行浜松営業部前の道を挟んで建つ、マビーセブンは私が学生時代にできた飲食ビルで、隣にあった遠鉄名店ビルと共に当時の高校生の溜まり場でした。 あれから45年・・・懐かしいですね!
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マビーセブンのマビーは不明ですが、セブンは7階建てを意味しています。
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銀行で用事を済ませた後は、浜松駅前からバスに乗って帰宅しました。
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