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大日本報徳社(20200306)

大日本報徳社は、二宮尊徳の「報徳の教え」を広めるための全国組織の本社です。国の重要文化財である大講堂を始め、明治期を中心に建てられた仰徳記念館・仰徳学寮・冀北学舎・正門・報徳図書館の見学と貸室、また様々な後援会等を行っています。

大日本報徳社正門
道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年の建立。これは道徳と経済の調和した社会づくりをめざす、報徳の教えを象徴しています。(静岡県指定文化財)
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旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)
正門をくぐると正面に建っているのが大講堂です。日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓等、荘厳な重みが感じられる和洋折衷の建物です。この大講堂は、報徳運動の拠点として明治36年に建設され、当初は「遠江国報徳社農学社公会堂」と呼ばれていました。公会堂として建てられた建物では日本で2番目に建築され、現存する公会堂としては最古の建築物となるため、貴重な文化施設です。(国指定重要文化財)
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大日本報徳社敷地内の建物
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大日本報徳社大講堂
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大日本報徳社大講堂の裏側
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仰徳学寮
仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。講堂の前方北寄りに位置し、東西に棟を向けて建つ木造総二階建て寄棟造りの建物です。(静岡県指定文化財)
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冀北(きほく)学舎
明治10年から17年、岡田良一郎が掛川市倉真の自邸に開いていた北学舎は、その使命に幕を閉じた後、この地に移築され、明治期の報徳運動を今に伝える貴重な建造物として保存されています。(静岡県指定文化財)
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仰徳(こうとく)記念館
明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。(静岡県指定文化財)
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淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館
大日本報徳社第二代社長であった岡田良一郎(淡山)の多大な遺徳を記念し、昭和2年に建てられた鉄筋コンクリート造りの図書館。建築学的に見ても、往時の図書館様式を今に伝える貴重な建造物です。(静岡県指定文化財)
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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旧遠州銀行本店(静岡銀行浜松営業部)

この日は銀行に行く用事があったので、久しぶりに赤電(遠州鉄道)に乗ってみました。
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旧遠州銀行本店の建物は、昭和20年(1945年)6月18日の浜松大空襲で辺り一面が焼け野原になりましたが焼失をまぬがれ、「静岡銀行浜松営業部」として現在も使用されています。
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1920(大正9)年6月に資産銀行と西遠銀行が合併し、当時の遠州地方最大の銀行である遠州銀行が誕生しました。
もともと西遠銀行の本店は1916(大正5)年3月に伝馬町に構えられており、合併して遠州銀行となった後、1928(昭和3)年6月3日に田町に本店を構えます。総工費は当時の半期純利益に相当する45万円で、地方銀行としては相当のものでした。1923(大正12)年の関東大震災を教訓に、堅牢な建物が造られました。その後、1943(昭和18)年に遠州銀行は静岡三十五銀行と合併して静岡銀行となり、遠州銀行本店は静岡銀行浜松支店となります。
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外壁は花崗岩張りで仕上げられており、ギリシャ神殿風の外観で、正面の東側には4本のイオニア式の円柱が3階まで伸びているのが印象的です。街路に面している北側には特に装飾はされておらず、シンプルに仕上げられています。東側・北側ともに1階にはアーチ状の窓が設けられ、中央に大きな扉があるが現在出入りには使われていません。
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2005(平成17)年には静岡で最初の本格的な鉄筋鉄骨コンクリート造の建物として浜松市の文化財に指定されています。
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ロビーは2階までの吹き抜けとなっており、2階部分の回廊と手すりには連続する波型のデザインが施されています。また、2階の部屋は回廊に面する形で配置されています。
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静岡銀行浜松営業部前の道を挟んで建つ、マビーセブンは私が学生時代にできた飲食ビルで、隣にあった遠鉄名店ビルと共に当時の高校生の溜まり場でした。 あれから45年・・・懐かしいですね!
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マビーセブンのマビーは不明ですが、セブンは7階建てを意味しています。
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銀行で用事を済ませた後は、浜松駅前からバスに乗って帰宅しました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅 ⑨

しなの鉄道は開業20周年の記念事業として2017年10月27日、旧駅舎口を駅として開業しました。
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実物の旧駅舎は、しなの鉄道に移管された1997年に取り壊されましたが、その窓枠や天井の一部を移築して2000年に町立(旧)軽井沢駅舎記念館として復元した建物を軽井沢町より借用して再び駅舎として利用しています。
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旧駅舎(博物館だった建物)を駅として復活させ、ホームと改札口は木製廊下で結び、駅事務所、ラウンジなども設置しました。
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ホームから改札までは開業当時の雰囲気を醸し出しています。
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明治43年の大改築往時の姿に再築された旧駅舎記念館。
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駅前の交番も山小屋のような洒落た建物です。
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旧軽井沢駅者前には草軽電鉄デキ12形の13号機が保存されています。
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草軽電気鉄道は軽井沢町と草津温泉の55キロを結ぶ鉄道路線で、1915年(大正4年)に開業しましたが、その後、国鉄バスや国鉄長野原線の開業、台風災害による被害などで1962年(昭和37年)にその役割を終えます。
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デキ12形はアメリカ、ジェフリー社製で、長いパンタグラフとL字型の車体に特徴がありましたが、自重が軽く、車輪が小さい為に坂の多い軌道上ではスリップや脱線もあり、特に凍結時には運転が困難だったそうです。しかし、その姿はかぶとむしの愛称で呼ばれて最も親しまれました。
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軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑の説明版がありました。この煉瓦サイロ(給水塔)は、かつて信越本線・軽井沢-横川間の碓氷峠を走っていたアプト式蒸気機関車に使用する水を上部の水槽に蓄え、給水していました。
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新幹線の軽井沢駅建設により取り壊されたものの一部を、明治時代からの当時を偲ばせる鉄道遺構として後世に末永く伝えるべく、モニュメントとして保存されました。
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅 ⑤

野辺山13:47⇒滑津15:01 小海線 229D

野辺山駅からハイブリッド気動車のキハE200形に乗車して滑津駅に移動しました。
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中込駅のとなりの滑津駅は旧中込学校の最寄り駅になっています。
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旧中込学校は明治8年(1875年)に完成し、国内の学校建築のうち現存する最古級の擬洋風建築物で、長野県宝、国重要文化財に指定されています。
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中央の八角塔は、天井から太鼓を吊るして時を告げ、村人たちはこの太鼓の音で正午や10時、3時のお茶の時間を知り、いつしか「太鼓楼」と呼ぶようになったほか、窓に当時は珍しいガラスを使用していたことから「ギヤマン学校」ともよばれ、開校当時は見学する人たちが連日あとを絶たなかったといわれています。
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設計建築は、アメリカで建築を学んだ地元出身の市川代治郎で、建築費用のほとんどは村内篤志の寄附によって賄われ、人々の教育に対する情熱がうかがえます
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ご覧いただき、ありがとうございました。

青春18きっぷの旅 ②

小淵沢小学校の機関車を見に行く途中に重要文化財「平田家住宅」の看板があったので立ち寄ってみました。
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敷地内には、平田家住宅、郷土資料館、工芸文化伝習館などがあります。
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この施設全体が、ふるさと歴史公園として整備されたようです。
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平田家は、武田家臣であった山田但馬守の子孫と伝えられ、江戸時代には松向村の名主を勤めた旧家でもありました。建物の間口は約20m、奥行約11m、建坪は約60坪の茅葺、入母屋造りの大きな住宅で、平成元年には国指定の重要文化財になりました。
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旧平田家住宅の案内看板。
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時間がなかったので住宅内の見学はできませんでした。
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前庭には、川中島の合戦で騎乗の謙信が振るう刀を信玄が軍配団扇で振り払う、金属板で作られた像がありました。
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隣接する小淵沢町郷土資料館には、主に農業(稲作・養蚕)を中心とする生産用具、衣食住を中心とする生活用具、町内より発掘された土器などの考古関係物が展示されています。
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工芸文化伝習室では、 「わら細工工芸」 「機織り講座」 などの伝承講座が開かれるそうです。
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