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幻の池・池の平(遠州七不思議)

昨年7月、浜松市天竜区水窪町の幻の池が12年ぶりに出現したそうです。
この幻の池「池の平」は静岡県浜松市天竜区(旧磐田郡水窪町)の亀ノ甲山の中腹付近にごく短期間だけ出現する池、もしくはその池が出現するくぼ地のことを言います。この池は5年~7年おきの奇数年に一度、大雨の後に突然現れ、そしてわずか数日で水が引き、また元の地形に戻ってしまうため、町民でもこの幻想的な光景に遭遇した人は少ないそうです。
諏訪明神が休息するための池であるとか、桜ヶ池の竜神の安らぎの池であるなどと言われていますが、どのような仕組みで水が湧き出すのかは分かっていません。静かな森の中に神秘的なムードが漂う池が出現することで多くの伝説を生んでいます。


(画像はイメージです)
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幻の池にはヘソがあるという噂があり、池となる場所のどこかに湧水の噴き出し口があり、大雨の後、一気に池になっていくのだそうです。また、青崩峠を越えた南信州にも幻の池があるそうで、「池の平」と同じくして池が出現すると伝えられています。「池の平」は中央構造線上にあり諏訪湖で糸魚川静岡構造線とぶつかり1本となって糸魚川に出ます。この巨大断層がぶつかり合った所にある諏訪湖には底がないとも言われています。もし底がなければ、竜神が地底の道を通って行き来することができるはず。桜ヶ池や「池の平」、春野町の「新宮池」、南信州の「幻の池」など、近在に伝えられる竜神や大蛇の伝説は、諏訪湖につながる話がほとんどです。もしかしたら、この「池の平」の地下にも、私たちの知らない水の道(深い大断層)があるのかも知れませんね。


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京丸牡丹(遠州七不思議)

静岡県浜松市天竜区春野町気田に京丸という地区があり、その京丸と谷を挟んで南に位置する岩岳山の北側の人も鳥獣をも寄せつけぬ断崖絶壁には、唐傘大の牡丹の花が60年に一度咲くといわれ、見つけることが難しい幻の花「京丸牡丹」と呼ばれています。

(画像はイメージです)
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現在の京丸地区は、定住する人も無く、代々この地区の中心だった藤原本家の旧家屋と阿弥陀堂が残されているだけです。また、この地区はその昔、源氏との戦いに敗れた平家の人々が都から落ち延びて暮らした場所であるとも伝えられています。

(画像はイメージです)
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<京丸牡丹伝説>
昔、京丸の里の村長の家に、山道に踏み迷い病み疲れた若い旅人が担ぎこまれましたが、村長の娘の献身的な看病のおかげでしだいに元気を取り戻します。若者は健康を回復した後もそのまま村に残り、畑の収穫を手伝ったりして、とてもよく働きました。
いつしか若者と美しい村長の娘は恋仲となり、その噂は村人たちも伝わるようになります。村長は若い2人の仲を認めてやりたかったが、人里離れたこの村には掟というものがあり、よそ者との婚姻を固く禁じていたのです。
ある日のこと村長は旅の若者を諭し、この里から出て行ってもらうことになりましたが、それを知った村長の娘も村長がとめるのを振り払って若者のあとを追ったのでした。
村長は2人がどこか他所の土地で幸せに暮らしてくれることを願ったが、若い2人の安住の地はどこにもなく、あてもなくさすらったのち、数ヵ月後に乞食のようなみすぼらしい姿で再び村に舞い戻って来たのです。しかし、村の掟は不変であり、非情でした。2人はいつまでも村にとどまることは許されず、村を出されました。その数日後2人は里の近くを流れる川の渕に身を投げたのです。
以来、2人の魂は、その命日、美しい牡丹の花となって渓間に咲き、その散り落ちた花びらは、川の流れにのって流れるといい、悲しい恋の花を咲かせる谷を村人たちは牡丹谷と呼びました。

(画像はイメージです)
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昭和45年、静岡大学農学部の斉藤助教授(当時)ら京丸牡丹調査団が現地の植生調査を行いました。牡丹は見つけられませんでしたが、アカヤシオ、シロヤシオツツジの大群落の実態が明らかになり、そして4年後、ヤシオツツジは国の天然記念物に指定されました。
京丸牡丹の伝説は、岩岳山に咲くヤシオツツジの群生を大きな牡丹と見間違えたのではないか?大木となるツツジの珍しさを伝説に残したのではないか?とも言われています。
岩岳山(1369m)山腹には4月下旬~5月中旬にかけて3000本以上のヤシオが赤色、続いて白色へと盛期になり、見事な景観を呈します。

京丸の里は大自然・南アルプスの山の中にあり、昭和40年ごろに廃村となってしまった幻の里です。

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晴明塚(遠州七不思議)

静岡県掛川市大渕(旧小笠郡大須賀町)に晴明塚(せいめいづか)という市指定の史跡があります。文化財として市から指定されたこの「晴明塚」は、陰明師・安倍晴明が祈とうしたといわれる塚で、古くから伝わる伝説があり、遠州七不思議の一つとされています。


【史跡「晴明塚」の由来】現地説明板より
今からおよそ千年前、京の都に安倍晴明という天文・歴学にくわしい陰陽師があった。ある時、荒波で聞こえた遠州灘に面したこの地に立ち寄り、村人の乞いに応じて、それまでしばしばおそった津波防止のために、あずき色の小石を積み上げて熱心に祈祷をした。その霊験により以後、この村には津波の災難がなくなったと言われる。この為村人たちは自然の暴威を鎮めた晴明の徳を讃えて、ここに祀り晴明塚と称するようになった。又晴明塚に祈願すると疱瘡にかからぬと信ぜられ、往年その流行期には遠近から多数参詣者があった。疫病予防の為には赤い石一個を借り出しお礼の時には二個にして返す。返した石はどんな色の石でもあずき色に変わると伝えられ遠州七不思議の一つに数えられている。


浜松から国道150号線を東に進み、旧大須賀町に入ると、見落とししそうな看板が出ています。
001_晴明塚入口看板


海側に少し入った所に、小さな小屋と駐車場がありました。
002_駐車場


小屋の先には晴明塚の説明板が立っており、奥には竹垣で囲まれた塚があります。
003_全景


晴明塚の説明板。
004_説明板


説明板の内容は冒頭に書きましたが、伝説は時に尾ヒレが付いたり、都合の悪いことは伝わらなかったりする事があります。私が晴明塚の伝説を調べると、以下の内容の話もあったので載せておきます。

「千余年も昔のこと、あるとき、この大須賀の地に陰陽師として名高い安倍晴明が訪れました。波の害に苦しめられていた村人たちは、津波と波の音封じをしてもらえないものかと晴明に訴えました。すると晴明は、津波封じに金三百、波の音封じに金五百を要求したのです。村人たちは苦心惨澹の思いで金を工面したが、どうにも金三百しか集まらなかった。とにかく津波封じだけでもと言う村人たちの乞いに応じて、晴明は小豆色の小石を積み上げて塚を作り祈祷を行なったのです。それ以後、他の村々が波にさらわれたときも、この地だけは塚より陸側へ波が入ることはありませんでした。しかし金の工面が付かず音を消してもらえなかったため、今でも遠州灘一帯では、荒れた波の音がそこここに響き渡っているのです。」


これが「晴明塚」です。大小の石を積み重ねた塚です。
005_晴明塚


言い伝えどおり、あずき色の石がたくさんあります。その他の色の石も、やがてあずき色になるのでしょうか?
006_あずき色の石


少し離れたところには、男女が抱き合っている石像がありましたが、説明板が無くて晴明塚と関係があるのか解りません。
007_石像


横から見た晴明塚。大量の石が積まれているのがわかります。
008_晴明塚


塚の横にも説明板がありました。(内容は入口の説明板と同じです)
009__晴明塚説明板


石を積み重ねて祈願しています。
020_石塔


塚の前には花や飲み物がお供えされていましたが、ひっそりとした場所でした。
021_晴明塚


私も新型インフルエンザの予防のため、石を一つお借りしてきました。無事に過ごせたら二個の石を返しに行きたいと思います。
022_持ち帰り石


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波小僧(遠州七不思議)

波小僧(なみこぞう)は、遠江国(静岡県西部)一帯に伝わる妖怪伝説です。
遠州七不思議の一つにも数えられていて、浜岡砂丘の入り口と舞阪町(浜松市西区)にはそれぞれ「波小僧の像」が建立されている他、JA遠州夢咲の「波小僧みそ」や菓子「波の音」を始め波小僧をモチーフにした商品や土産物も多数作られています。



浜岡砂丘入口に建つ「波小僧」の像。
001_浜岡波小僧シルエット


【説明書きより】
「波小僧」は遠州七不思議のひとつ、波の音、伝説に登場する。ある時、漁師の網に波小僧が入った。波小僧は命乞いをして「私を助けてくれれば、雨風をあらかじめ知らせます」と約束した。それから、天気が変わる時には波の音が聞こえると言われている。
002_浜岡波小僧説明板


波小僧は妖怪なんだけど、銅像はかわいい子供の像ですね。
003_浜岡波小僧アップ縦


【波小僧伝説 その1】
昔、遠州灘に住んでいた波小僧が、漁師の投げた投網にひっかかってしまった。波小僧は漁師達に命乞いし、ある約束をして海に逃がしてもらった。その約束とは、漁師達にとって大事な海の天気の変わり目を波の音で知らせるというものであった。そのころから天気の変わるときには波の音が聞こえるようになったのである。その波の音は30キロの彼方まで聞こえたという。
007_波


【波小僧伝説 その2】
昔、遠州灘の底にすんでいた海坊主が、ある長雨続きの時、陸地の奥まで遊びにいきました。ところが急に天気がよくなって帰れなくなってしまいました。考えた末、村人に「私を海に連れっていってくれるのなら雨を降らせたり、雨の降るときは波の音でせます。どうか私を海に連れていってください。」と頼みました。そこで村人たちは海坊主を海に連れていってあげました。それから天気の変わるときに波の音が聞こえるようになりました。
009_波


浜松市西区舞阪町に建つ「波小僧」の像。
010_遠州灘・波小僧


【説明書きより】
むかし、遠州灘の浜では地引網漁が行われていました。魚がとれない日が続いたある日、真黒な小僧が網にかかりました。漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると、小僧は「私は海の底に住む波小僧です。命だけはお助けください。その代り、ご恩返しに、海が荒れたり、風が強くなったりする時は、海の底で太鼓をたたいてお知らせします」と言うので、海にもどしてやりました。それ以来、天気の変わる時、波の音がするようになったと伝えられています。
011_遠州灘・波小僧説明板


この「波小僧」も妖怪らしくない、かわいい子供の像です。イメージアップですかな?(笑)
012_遠州灘・波小僧


【波小僧伝説 その3】
遠い、遠い昔のこと、遠州灘のある浜辺で漁師さんたちが大勢して地引網を引いていた。ところが、その日にかぎって朝からなにも網に入らなかった。それでも、もう一度、もう一度と網を引いているうちに、とうとう夕方になってしまった。そして最後のひと網を引いてみたところ、こんどは何か入っているようにズッシリと重い。漁師たちは大喜びで、力を合わせて浜に引き上げました。すると網の中で、どたん、ばたん、と暴れ回っているものがいます。おどろいた漁師たちが近寄ってみると、真っ黒な色をした目玉のでっかい河童のような生き物が一匹入っていたのです。それを見てひとりの漁師が、「人をバカにして、こんな薄気味悪い生きもんがいるから魚がとれないんだ。殺してしまえ!」と言うと、「そうだ、そうだ、殺してしまえ!」他の漁師たちも、舟のかいを握って殴りかかろうとしました。 すると、その薄気味の悪い生き物が、「どうぞ、命だけはお助けください。私は海の底に住む”波小僧”と申すものでございます。あなたたち漁師は、毎日の天気が心配でしょう。もし命を助けてくださるなら、これから海が荒れるときには、海の底で太鼓を叩いて前もってお知らせしましょう」と、頭を地べたにすりつけて頼みました。漁師たちもかわいそうに思い、波小僧を海に帰してやりました。それからは海が荒れる前には、必ず海の底で波小僧が「ドドードーン、ドドードーン」と、太鼓を鳴らして教えてくれるようになったのです。東から聞こえてくると雨、西から聞こえてくると晴れ、西から急に風向きが東に変わると、「嵐がくるぞー、ドドドーン、ドドードーン!」波小僧は、いまでも遠州灘の海の底で太鼓を鳴らし続けているのです。
013_波


【波小僧伝説 その4】
昔、遠州灘の海底近くに住んでいた海坊主が、長雨続きの日に水面近くにまで浮かび上がってきました。海坊主は警戒心が強いため、普段は滅多に水面に浮かび上がることはないのですが、このような天気の悪い日に漁師が海に出ているわけがないと高をくくっていたのです。でも最近、この遠州灘では魚の取れない日が長く続いていたため、1人の漁師がたまたま漁に出ていました。そして、その漁師の網に運悪く海坊主が引っかかってしまったのです。若い漁師は、網にかかったのが魚ではなく得体の知れない怪物だと知ると、海坊主を舟のかいで叩き殺して海に投げ捨てようと考えました。それを気配で知った海坊主は必死で命乞いをしました。「自分を海に帰してくれれば、天気の変わり目に波の音で知らせてあげましょう。だから、どうか命を取るのだけは勘弁してください!」と平身低頭して懇願しました。若い漁師は、怪物を殺すよりも命を助けて天気の変わり目を教えてもらったほうが得だと悟り、海坊主を海に帰してやりました。天気の悪い日に漁に出て、多くの漁師が命を失っていたからです。海坊主は約束をちゃんと守り、それからはまるで太鼓の響きのような凄まじい音で東の方角から波の音が聞こえてくると海が荒れるというように、漁師たちは波の音によって天気の変わり目を知りことが出来るようになったということです。
014_波


【波小僧伝説 その5】
波の穏やかなおぼろの夜、漁師の二人が帰港しようとした時、突然湖中から怪物が出現した。勇気を振り絞って血みどろの格闘をし、櫓を取って怪物を殴殺しようとしたところ「私は浜名湖の主『海坊主』です。命はお助け下さい。お礼として漁師に一番心配な雨と風と湖の荒れることを波の音でお知らせします。遠州灘の波の音が西(西南)から聞こえる時は翌日は晴天、東(南東)から聞こえる時は雨天になります。極端に東へ寄ってゴーゴーいう音が聞こえたら「大時化」になります」と言った。この時から怪物(海坊主)は約束を律儀に履行しました。入出の漁師たちは「漁」にでる前には必ず遠州灘の波の音に耳を傾けてから出漁するようになりました。
015_波


「波小僧」伝説には、類似する以下のような話もありました。

1.弘法大師が和地山大山にいた頃、付近を荒らすイノシシを脅すために麦藁人形を作った。イノシシを退治した後、人形たちが「今より後は人々に雨風を知らせん」と言ったので、人形たちを遠州灘に入れた。その後、天気が悪化するときには波の音が立つようになった。

2.秋葉神社の建設時、藁人形が労働力として用いられた。人形たちはよく働き、その年は大豊作となった。仕事が終わって人形たちを川に流さなければならなくなったとき、人々はこれを惜しみ、その後も豊作になるよう天気の具合を教えてほしいと頼んだ。以来、海の鳴る音で天気を知ることができるようになった。


静岡県の太平洋に突き出た御前崎から愛知県渥美半島の伊良湖岬に連なってひろがる遠州灘一帯の波は、とても不思議な海鳴りを発します。とくに天候の変わり目のときなどには、普段の磯の潮騒とはまったく異なった、一段と高い波音をたて、その音は古来から「波小僧」と称され、多くの人々に親しまれてきました。「波小僧」は、発生源の方向位置を知ることにより、これからの天候を予知できるともいわれていて、波音が東南に聞こえるときは「雨または風」、南西から聞こえるときは「晴れ」になるそうです。今でも、この海鳴りによる波音は、身近な天気予報として、遠州灘一帯に暮らす人々の生活に深く溶け込んでいます。
1996年に選定された、環境庁の「残したい日本の音風景100選」のひとつに、この遠州灘一帯の波の音が「遠州灘の海鳴 波小僧」として選ばれています。


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粟ヶ岳・阿波々神社と無間の鐘(遠州七不思議)

粟ヶ岳(あわがたけ、あわんたけ)別名無間山は、静岡県掛川市と島田市金谷に跨る標高532mの山です。山頂には阿波々神社があり遠州七不思議の1つ、無間の鐘の伝説があります。


【無間の鐘伝説】
聖武天皇の天平の頃(729~748年)のこと。小夜の中山の東、菊川村に一人の仙人が住んでいました。あるとき、不動明王を信仰して毎日お祈りをしていたこの仙人は、村の人々からお布施をあつめて、淡ヶ嶽(粟ヶ岳)の頂上に大きな釣鐘をつるしました。この淡ヶ嶽の釣鐘の音は、広く遠州に響きわたり、評判になりました。誰が言いだしたのか、一つつけば、事故や災難をまぬがれ、二つつけば、病気にならず、三つつけば、家内安全、四つつけば、運が開けて出世する、五つつけば、子宝に恵まれ、六つつけば、幸運がつづき、七つつけば、大金持ちになる、などというご利益が伝えられました。このうわさを聞いた村人たちは、我先にとこの寺へおしよせました。ところが、この山の道は険しく、みなが争って先を急ぐために、途中で谷底へ落ちてケガをしたり、死ぬ人まで、たくさん出てきました。この姿を見た寺の住職は、人々の欲の深さにあきれ、「この鐘をつくった仙人の願からはずれる・・・」と、鐘を井戸の底深く投げ込んでしまいます。それから後、この井戸を「無間の井戸」といい、今も粟ヶ岳の頂上に残っています。


山頂近くにはヒノキが『茶』の文字に植林されており、島田方面(JR東海道本線の大井川鉄橋や国道1号線など)や牧之原台地(国道473号)から見る事が出来ます。
001_栗ガ岳全景


粟ヶ岳の麓の案内板。山頂までは5キロの山道を上ります。
002_栗ガ岳5キロ看板


山麓は茶畑に開墾されているため、見晴らしが良く眺めは最高です!
003_峠の展望


山麓の茶畑を眺めると、前方には棚田のような茶畑もあり、開墾の苦労が想像されます。
004_茶畑


山道の途中にあった観音地蔵。山頂までは、あと2キロ。
005_地蔵観音&栗ガ岳2キロ看板


車のすれ違いも困難な山道ですが、所々にある待機場所で対向車をやり過ごして山頂に向かいます。
006_山道


山頂に向かう途中に見つけた木の幹には、キノコがびっしりと龍の鱗のように生えていました。
007_樹木キノコ


山頂に到着!山頂売店の展望台から眺めた風景は、遠くに遠州灘も見えました。
009_山頂展望


東南東に15km程の所にある静岡空港。時間が合えば離着陸する飛行機が見られるでしょう。
010_富士山静岡空港


駐車場脇にあった案内板。
008_山頂案内板


早速。無間の井戸がある阿波々神社に向かいました。
011_阿波々神社看板


山頂付近は粟ヶ岳固定局と呼ばれる無線施設群があり、静岡県内のテレビ・ラジオ放送局の送信所、また東西の中継局となっています。
012_放送塔


山頂にある阿波々神社は延喜式内社で、社伝では736年(天平8年)の創建といわれています。
現在は山頂に社殿が建立され、その手前斜面に磐座(いわくら)と呼ばれる巨岩群がありますが、現社地は1987年に遷座したもので、元々は磐座の下斜面に旧社地がありました。
013_阿波々神社


境内には八重垣神社・白羽神社・八王子神社の摂末社と遠州七不思議の無間の井戸があります。
014_無間の井戸看板


案内板の奥、神社本殿の後方に無間の井戸はありました。
015_無間の井戸


これが、無間の鐘を投げ込んだとされる無間の井戸です。
017_無間の井戸


井戸の大きさは直径30~40㎝ほどしかありません。投げ入れた鐘も小さなものだったのでしょうね!(^_^;)
018_無間の井戸


井戸の中はすでに埋められていて、深さなどは分かりませんが、今でも奥底に無間の鐘はあるのでしょうか?
019_無間の井戸


【無間の鐘にまつわる話】

1.蛭(ひる)になった荒石長者
粟ヶ岳のふもとの、小鮒川というところに、一人のお金持ちが住んでいました。この人は、ひどく欲深い人で、意地の悪いことをしてお金をためていたので、村の人たちは、「荒石長者」と呼んでいました。荒石長者は、無間の鐘のうわさを聞くと、無理しても粟ヶ嶽にのぼり、大きな音を出そうと、勢いよく鐘をつきかけました。すると足元がすべり、谷底へ落ちて、死んでしまいました。そして、地獄におちた荒石長者は恐ろしい蛭になってしまいました。これを見た住職は、「こんな悪い鐘なら、無いほうがいい」と、鐘を井戸に投げ込み、埋めてしまいました。それから後、この井戸を、無間山観音寺の無間の字をとって『無間の井戸』と呼ぶようになりました。


2.喧嘩のはて
むかし、この粟ヶ嶽の近くに、川井成信という殿様がいました。そして、その近くには、大沢兵庫という武士が住んでいました。ふたりは仲が悪く何かといえばケンカばかりしていました。ある日のこと、川井成信が、幕をはって山の上で花見の酒を呑んでいると、来合わせた大沢兵庫が『何だろう』と、幕の中を覗いて見ました。川井成信は、大沢とわかると「誰だ、覗くのはきっと乞食だろう。魚の骨でもくれてやれ。」と言ったので、大喧嘩になりました。大沢兵庫は、「おれが貧乏だから馬鹿にする。この無間の鐘をついて金持ちになってやるぞ」と、無間の鐘をつこうとして、ついに、山のお寺や松の木を焼いて、自分もまた、川井成信も焼け死んでしまいました。それから後、この無間の鐘は、悪い鐘だと言われるようになりました。


3.その他
江戸時代の書物では、滝沢馬琴『諸国里人談』『東海道細見記』『煙霞綺談』などでこの話が紹介されており、『東海道名所図絵』には炎に囲まれた阿波ヶ嶽(粟ヶ岳)が描かれています。安藤広重も無間の鐘を描いており、広く世間に知られていた話であることがうかがえます。


無間の井戸には多くの絵馬が掛っていました。やっぱりお金持ちにはなりたいものです。
020_無間の井戸


神社の南斜面は自然林が広がり、磐座(いわくら)と呼ばれる巨石群があり、ハイキングコースにもなっています。
032_ハイキングコース看板


磐座は古代に天(高天原)から神様がお降りになると考えられた神聖な場所だそうです。山頂に、このような巨石群があるのは不思議な光景でした。
033_磐座


磐座に囲まれて、八重垣神社跡がありました。
034_磐座看板


磐座群の中心部に地獄穴があります。無間地獄に落ちる場所で、岩の裂け目の奥は知る人ぞなしだそうです。この中に石などを投げ込んだり岩石の上に足を踏み入れたりなどすると神罰が当たると、境内各所に注意が書かれています。
035_地獄穴


自然林の中には神木と呼べるような巨木も生えています。
038_巨木


自然林の中にいると、巨石や枯木には神が宿っているように感じてくるのが不思議です。
039_枯木


神社に戻ると大勢の人が集まって何か作業をしています。
040_阿波々神社


信徒の人たちが、新年用のしめ縄の取替え作業をしていました。
041_阿波々神社


手前の古いしめ縄を参考に、奥で新しいしめ縄を編んでいました。
042_阿波々神社


新年を迎えて、拝殿には新しいしめ縄が飾られていることでしょう。
044_阿波々神社


再び、山頂展望台でしばらく休憩をして下山しました。
045_展望台


「無間の鐘」伝説の最後には、この鐘をつくと、現世ではお金持ちになって裕福に暮らせるけれど、死後、無間地獄におちて、絶え間ない責め苦にさいなまれるという話もあります。今が満ち足りていれば、後はかまわないという風潮は、現代だけのものではなかったのですね。そのため、それを戒めた伝説だったのかもしれません。


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