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2024春の18きっぷの旅 ㉒

岡山駅前を電車通りに沿って東へまっすぐ2キロほど(徒歩約30分)で岡山城と後楽園に行くことができます。
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旭川に架かる月見橋を渡った先は、日本三名園のひとつである後楽園です。
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今回は後楽園には寄らず岡山城に向かいました。
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外観復元された廊下門
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岡山大空襲で焼け残った月見櫓は国の重要文化財。元和・寛永年間(1615-1632年)築で、本丸の裏・北西方向を守る櫓です。周辺には、土塀の礎石に狭間が作られており、当時の最新式の設備と言われます。
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不明門(あかずのもん)は本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門です。
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不明門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されました。
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今の岡山城付近には旭川の流域に岡山、石山、天神山という3つの丘がありました。その石山にあった城を手に入れて本拠地とし、岡山の地を戦国の表舞台に立たせたのは宇喜多直家でした。その子の秀家は、岡山の丘に本丸を定め、今に残る岡山城を築きました(1597年天守完成という)。江戸時代の文献によると、築城は豊臣秀吉の指導によるものといわれます。さらに、多岐にわたる旭川の河道を利用して、流れを現在のように城の北や東を守るように整えたり、堀づくりに活用し、堀の間に南北に長い城下町をつくりあげました。こうして今に続く中心市街地の原型ができ、岡山の名が、市名、県名となる礎となりました。その後城主となった小早川秀秋、池田氏により城と城下町は、さらに拡張され今に至ります。
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岡山城の天守は、豊臣秀吉の大坂城がそうであったといわれるように、外壁は黒塗りの下見板で覆われていて、烏城(うじょう=「う」はカラスの意味)の別名があります。また、発掘によると、宇喜多秀家時代の金箔瓦が出土しており、築城時には、城内の主要な建物の随所に金箔瓦が用いられ、豊臣政権下の有力大名である威厳を示していたことでしょう。これにより金烏城とも呼ばれます。
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天守は明治維新後も残る貴重な存在で、1931年(昭和6年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)6月29日の岡山大空襲で天守・石山門を焼失。その後1964年〜1966年(昭和39年〜昭和41年)に天守を鉄筋コンクリートにて再建。同時に不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部も再建。現在の天守は瓦に桐紋が使われるなど、秀家当時のイメージで再建されています。
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岡山城復元天守
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復元された岡山城天守と塩蔵
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塩蔵下の石垣は、せり出してきた元の高石垣を補強する目的で江戸時代の1688~1703年に築かれました。丁寧に面を整えた石を横に積み、最上段の石は角を丸く加工しているのが特徴です。
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天守台の形がわかる石垣
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天守台は、宇喜多秀家が1597年までに築いた高さ14.9mの石垣です。自然の石を用い、平面が不等辺五角形をしているのが特徴です。この場所は、元々あった岡山という名の丘の端にあたり、石垣はその堅い崖面に支えられています。
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岡山城の横を流れる旭川は堀も兼ねているそうです。
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ご覧いただき、ありがとうございました。
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2024春の18きっぷの旅 ㉑

倉敷15:13⇒岡山15:31 伯備線普通岡山行 (国鉄115系電車)
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岡山に到着した列車は回送列車になり車庫に入りました。
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岡山駅は今も昔も中四国最大のターミナル駅で多くの列車が発着しています。この列車は四国に向かう「特急しおかぜ・いしづち17号」です(JR四国8000系電車)
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こちらは「特急しおかぜ・いしづち17号」の先頭車両(JR四国8000系電車)と国鉄115系電車。
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「特急やくも18号」が到着。
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岡山駅は1891年(明治24年)3月に神戸駅から西方向に当時の私鉄である山陽鉄道が延伸する形で開業しました。山陽鉄道は1906年(明治39年)に国有化されています。駅構造は新幹線ホームが島式2面4線の3階の高架ホーム、在来線ホームは島式4面10線の地上ホームを持ち、在来線8方面、山陽本線(神戸方面・福山方面)、伯備線、瀬戸大橋線、宇野線、津山線、吉備線、赤穂線)と路面電車2方面、岡山電気軌道(東山本線・清輝橋線)が連絡しています。
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今回、岡山城には徒歩で向かいましたが、その行き帰りに岡山電気軌道の路面電車を撮影しました。
岡山電気軌道岡軌7200形7202号電車
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岡山電気軌道岡軌7900形7901号電車
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岡山電気軌道岡軌7600形7601号電車
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岡山電気軌道岡軌7400形7401号電車
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岡山電気軌道岡軌7500形7501号電車
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岡山電気軌道岡軌7000形7002号電車
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岡山電気軌道岡軌7200形7201号電車
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岡山電気軌道岡軌7900形7901号電車
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岡山電気軌道岡軌7900形8301号電車
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岡山電気軌道岡軌7900形8101号電車
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岡山電気軌道岡軌7200形7202号電車
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ご覧いただき、ありがとうございました。

2024春の18きっぷの旅 ⑳

水島臨海鉄道の常盤駅から徒歩で5分ほどの水島中央公園にはD51842号機が保存されています。
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D51842号機は1943年に国鉄鷹取工場で製造され、岡山、富山、糸魚川、熊本、追分に配属されて1975年に廃車になりました。
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大きな上屋の下で周囲を金網で囲まれているため接近はできません。
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北海道の追分区時にギースルエジェクターを装備し、切り詰めデフに改装されています。
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キャブ窓枠やガラスも残っており、全体の塗装も状態は悪くありません。
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保存機の横にはホームらしき設備があります。
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要所要所が保存機らしく?白塗りされています。
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足回りもペイントされてます。
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煙室扉のハンドルが紛失しているのが残念でした。
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2024春の18きっぷの旅 ⑲

帰りの乗り合いタクシーから途中の高梁基督教会堂前で下車しました。
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高梁基督教会堂は1889年(明治22年)に建てられた現存する岡山県下最古の教会堂で、岡山県の史跡に指定されています。
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明治12年に始まった高梁でのキリスト教布教活動は、翌13年に新島襄(にいじまじょう)が来高すると急速に発展し、信者の浄財によって教会が建築されました。
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1881年(明治24年)、講義所を開設し、同年3月には教会設立のための会が開かれます。1882年(明治15年)4月26日、上代知新を牧師に迎え教会が正式に発足し設立式を行っています。
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県下初の女学校・順正女学校を創設した福西志計子(ふくにししげこ)や社会福祉事業家の留岡幸助(とめおかこうすけ)らを育てた教会でもあります。
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高梁基督教会堂
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高梁基督教会堂
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高梁基督教会堂から徒歩10分ほどで備中高梁駅に戻りました (伯備線の国鉄115系電車)
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「特急やくも12号」(国鉄381系電車)
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備中高梁12:30⇒倉敷13:04 伯備・赤穂線普通西大寺行(国鉄213系電車)
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倉敷駅に戻ってきました。
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倉敷駅から水島臨海鉄道に乗り換えて保存機関車を見に行きます。
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倉敷市駅から常盤駅までの切符を購入。
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倉敷市13:40⇒常盤14:01 水島臨海鉄道
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常盤駅に到着して水島中央公園に保存されているD51842号機を見に行きました。(保存機の記事は明日掲載)
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常盤駅は1992年(平成4年)9月7日に浦田駅-三菱自工前駅間の高架化と同時に開業した駅で、単式ホーム1面1線の高架駅の無人駅です。
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保存機見学の後、倉敷駅に戻ります。
常盤14:45⇒倉敷市15:06 水島臨海鉄道
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球場前駅で下り列車と交換
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倉敷市駅に到着しました。
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2024春の18きっぷの旅 ⑱

総社8:49⇒備中高梁9:13 伯備線普通備中高梁行(国鉄115系電車)
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備中高梁駅に到着した列車は折り返し岡山行になります。
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「特急やくも5号」がスーパーやくもの復活カラーで到着(国鉄381系電車)
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「特急やくも5号」(国鉄381系電車)
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備中高梁駅は1926年(大正15年)6月20日に鉄道省伯備南線(現・伯備線)美袋駅-木野山駅間延伸時に開設。2015年(平成27年)4月29日には新駅舎が完成します。駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線を有する地上駅で橋上駅舎を備えるJR西日本の直営駅です。
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備中松山城は山城のためアクセス方法が限られおり、今回は事前にTELにて乗り合いタクシーを申し込みました。当日は備中高梁駅2Fの高梁図書館内にある観光案内所で手続きをして備中松山城に向かいました。
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乗り合いタクシーには私以外に3名が乗り込み備中松山城入り口のふいご峠駐車場に到着。ピオーネ交通という会社名はフルーツで有名な岡山ならではの社名ですね。
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ふいご峠駐車場からは山道を20分ほどかけて山頂にある備中松山城に向かいました。
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道中はこのような急な階段が続きます。
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さすがに歳には勝てず、ヘロヘロになりながら山道を登りました。
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途中には休憩所らしき場所もあり休み休み登ります。
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休憩所からは備中高梁の街を眺めて息を整えました。
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備中松山城は現存天守12城の一つであり、この中で唯一の山城です。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)があります。
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臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われ、江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行ったそうです。
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四の平櫓跡
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備中松山城は天空の山城ともよばれ、雲海の発生確率が高い10月下旬から12月上旬はタクシーで本丸とは離れた位置にある展望台に向かう人も多いそうです。
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八の平櫓跡
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備中松山城は、城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されています。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存し、日本三大山城の一つとされます。
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有料区域外から見た天守
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二重櫓(重要文化財)
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後曲輪跡
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九の平櫓跡
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二重櫓(重要文化財)
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ここから先は有料(500円)区域になります。
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備中松山城の天守は、構造などは不明ですが毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられています。現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされますが、慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれています。
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備中松山城には猫城主として「さんじゅーろー」がいますが、この日はお出掛けしていて不在でした。元々は飼い猫でしたが、平成30年7月豪雨の際にベランダから失踪し、その1週間後に当城にて発見されて世話されているうちに城に居着くようになり「城主」の呼び名が浸透しました。高梁市観光協会が元の飼い主を探して見つけましたが、城に居着いてしまったことから観光協会に譲渡が決まりました。
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山登りで疲れ果てたため天守内には入らずに天守前の広場で体を休めました。
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天守(重要文化財)
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